『ペルナトップチームの公式戦:初戦』
こんばんは。ヒデコーチです。本年度、四日市サッカー協会に正式に加盟し、昨日(4/25)
3部リーグの第一戦がありました。昨年11月に行われた練習試合から数えてトップチームとしての試合は、2戦目になります。相手は、四郷クラブ・・・
私がひと昔、四日市リーグでやっていた時に1部に名を連ねる程の実力のあるチームです。
相手は10人と一人少ない状況でしたが、実力のあるチームなので、試合は、一進一退。
後半、清水ファミリーのコーナーキックのやりとりから清水コーチの意表をついたシュートでペルナが先制!!ガンバの遠藤がジェフ市原戦で見せたF.Kの様でした。清水コーチ曰く、狙い通りだったそうです。(ほんとかな?)後半の終盤に相手のヘディングシュートで同点・・・(私の背丈がもう少しあれば防げてました・・・)
終了間際に、F.Kから抜け出した松尾ともき(ペルナOB)がGOALして2-1で勝利!!公式戦の記念すべき初勝利をあげることが出来ました。試合の初めに清水コーチがチームのみんなに「楽しくサッカーやろや」といったものの、いざ、試合が始まると、若き日の自分を思い出したかの様にみんながエキサイト!!ところどころで見方のメンバーに厳しい指摘をするところも見受けられました。
やっぱり試合に自分が出ているとみんが良い意味で「熱く」なります。老兵には今日か明日ぐらいに筋肉痛が襲うことでしょう・・・参加してくださった方、ほんとお疲れ様でした。応援にきてくださった方、ほんと有難うございました。3部リーグの第二戦目は、5/30の予定です。次節も楽しく、熱くなりましょう!!
18日はU−12・11・10・9で奈良遠征でした。
U―10・9は積極的に『だんごサッカー』で、いい顔をしながらボールを追いかけていました。
U−12・11は今取り組んでいることを一生懸命やりました。
U―12は去年のおさらいになるので大体できますが、U−11は今年初めてやることなので、できたりできなかったり・・・
まぁ何回も失敗を繰り返しながら、できるようになってくれればいいので、ゆっくりゆっくりです(笑)
また、昼休みがおもしろかったんです!
昼休みの過ごし方がU−12・11とU−10・9で全然違ったんです。
U−12・11(一部U−10・9の選手も混ざっていましたが)の選手は、ボールを持っていろいろなリフティングの技の練習をしています。練習って言うよりかは、『ボールで遊んでる』って感じです。休み時間にサッカーで遊べるようになったらチャンスです。サッカーが上手くなるチャンスです。『やらされて』いてはダメです。『遊び』の中にサッカーが入り込まなければダメです。大人の仕事もそうですよね。やらされているときはつらいばかりで、いい仕事はできませんよね(苦笑)
選手たちから『なんかいい感じ』な匂いがしてました(笑)
ちなみに多くのU−10・9の選手は、そこにあった砂の山で砂遊びをしたり、隣にあったテニスコートのフェンスにかじりついてテニスを観ていたりしていました。
まぁペルナ的にはそれも全然OKですけどね(笑)
Coachしみず
いよいよ4年に1度のワールドカップ・イヤーが始まりました。
今回は大好きなブラジルについての情報を。
『ブラジル国内では、過去最多となる5回の優勝を誇るセレソン(ブラジル代表)に対する期待は大きく、6回目の優勝を目指して国内はお祭り騒ぎ!』ということはなく、出場決定後は静かなものでした。
予選リーグの組み合わせが決まったころ、日本のメディアでは『ブラジル・ポルトガル・コートジボワール・北朝鮮が入る組は死のグループ』と騒いでいましたが、ブラジルではどうだったでしょう。
ポルトガルはブラジルから帰化した選手(デコ・ペペ・リエジソン)やクリスチアーノ・ロナウドというスター選手の存在で少しは話題になりました。それでも、08年に行われた直近の親善試合で6-2と撃破しており、ブラジル人のルイス・フェリペ・スコラーリ(セレソンを02年のW杯で優勝に導いた)が監督から退いたため、それほど脅威とは思っていないようです。
コートジボワールのディディエ・ドログバはブラジルでも知名度は高いようですが、代表チームに伝統がなく、興味を持って見ている人は少ないようです。
北朝鮮に至っては、情報もないし、情報を得ようともしていない。興味を持つべき相手ではまったくないようです。
ブラジルのメディアは、伝統ある強豪国との試合なら相手について詳しく報道しますが、格下相手ならセレソンの話題のみ。ファンも相手のことなど興味なしです。
ブラジルにとってライバルは、W杯優勝歴を持つイタリア・アルゼンチン・ドイツ、それに今回はスペインとなりそうです。
今の時点では盛り上がっていないブラジル国内も、大会が始まると『コッパ(ワールドカップのこと)』一色になります。
試合が学校の授業時間に行われれば授業は休み。会社も官庁も休みになります。
そういえば、うちの息子たちも02年日韓W杯のときは学校を休んでました(苦笑)
ブラジルは、1930年の第1回大会から唯一すべての大会に出場している国です。
ブラジル人は例外なく4年に1回W杯を楽しんできました。自分の人生の岐路や子どもの成長をW杯に合わせて記憶します。
『02年日韓大会の年に高校受験だったな』
『94年アメリカ大会のときに長男が生まれたな』などです。
そういえば私の大親友は、98年フランス大会の年に結婚し、新婚旅行はフランスへ試合観戦に出掛けました。
この先日本が、毎回W杯に出場でき、国民の誰もが4年に1回の祭典を楽しみ、その大会の記憶を自分の思い出と重ね合わせることができれば、日本のサッカー文化も少しグローバルなものになるかもしれません。
さぁ、みんなで『コッパ』を楽しみましょう!
Coachしみず
日本代表の岡田監督は、5月中旬に予定している代表メンバー発表時に、4〜5人の育成選手を合わせて発表する考えを示しました。
『このメンバーは23人とずっと行動することになる。原則として育成枠にしたいと考えている』目安として12年ロンドン五輪を見据えて89年4月2日以降に生まれた選手であること、代表選手のバックアップになることを条件に挙げました。
要は『W杯南アフリカ大会に若手を帯同させて経験を積ませる』ということで、大変いいことだと思います。
世界を見ても他に例がないほどの金持ち協会なんですから、こんなふうにもっともっと育成年代に金を出すことをやってもらいたいと思います。
育成年代のトップレベルの選手に金を出すのはもちろんのこと、草の根の末端にまでもっと金を出してもらわないと・・・
実は一番下のサッカーを楽しみ始めたところに目を付けることが、将来のベスト4入りの近道かもしれませんよ。
Coachしみず
新しい年度が始まりました。
チームとしてうれしいことに転校等の理由で退部した2名を除いた全員が、新年度もペルナサッカークラブでサッカーを続けてくれることになりました。
すでに数名の新規入部の問い合わせもきており、早々に新しい仲間も増えそうな予感がしています。
できるだけ多くの仲間を増やして日本にサッカー文化を根付かせるために・・・
そして何よりサッカーを始めた子どもたちにサッカーの楽しさを伝えるために・・・
「子どもの本来持っているパワーを引き出す手助けをしたい」と指導者一同思っています。
保護者の皆様・選手のみんな、一年よろしくお願いします!
Coachしみず
CSKAモスクワの日本代表MF本田圭祐選手が、『悪魔の左足』で日本人初となる欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL)8強入りを決めました。
前半39分先制点となるゴールのアシストを決めた本田選手は、追いつかれた後の後半10分、ゴール正面やや右・約30mのFKを『悪魔の左足』で蹴り、GKの手をはじきながらそのボールはゴールに吸い込まれ決勝点となりました。
大会が『欧州CL』に改編されてから、日本人選手が8強入りしたのはこれが初めてで、日本人選手が決勝トーナメントで得点するのも初めてという『初めて』づくしとなりましたが、本人は『何よりも自分のゴールで次に行けたことが選手として喜ばしい』と語り、『日本人初』には興味がないようです。
本田選手とともにガンバ大阪でジュニアユース時代を過ごしたG大阪の安田理大選手は、本田選手のことを『昔からメンタルだけは誰よりも強かった』と語りました。
中学時代からすごい負けず嫌いで、足が特別速くなかった本田選手は、50m走があると自分が勝つまで止めなかったようで、安田選手は『何回走らされたか分からん。腕相撲も腕が折れるかと思うくらいやった』と苦笑いしました。
北京五輪では、『ご飯の水の量が多い』と選手たちがぼやいていたら、『おれが言うてくる』と言って外国人シェフに英語で米の炊き方を言いに行ったり、仲間を連れてスウェーデンの女子代表を口説きに行ったりと、物怖じしない性格はピッチ上だけではなかったようです。
プロ入り当初から海外を意識して語学を習得したりと、決して努力を忘れない本田選手の姿に『プロになるため』のヒントが隠されているのかもしれません。
Coachしみず
27・28日は恒例の『最後はペルナで!』でした。
6年生の最後の試合を例年同じ流れでやっているのですが、今年も『ペルナらしさ』で締めくくることができました。
27日はチンチンにやられました。
同じチームと28日の最後のゲームでやったのですが、『最後』ということで選手のモチベーションは上がっていて、やられはしましたがペルナらしさで崩せたところもあったし、しっかり『戦えて』いました。
前日は全然止めることができなかった守備陣が、タイトなマークで相手の攻撃を食い止めます。
攻撃は相手の大型守備陣にうちの小型攻撃陣(笑)がショートパスとドリブルで仕掛けます。
『うまなったなぁ』
毎年思いますが4月は『今年のチーム大丈夫かなぁ・・・』って感じですが、3月のこの時期には『今年もなんとかなったなぁ』って思います。
本当に選手たちはよくがんばりました。
決して高くない身体能力でゆっくりと、でもコツコツと確実に一段ずつですが階段を登ってきました。
その全てを28日の最後のゲームで魅せてくれました。
本当に選手たちには感謝です!
これからも中学生になっていろいろなことがあると思いますが、ペルナでやってきたことを忘れずに、いつまでも今のままの『サッカーバカ』でいてもらいたいと思います。
保護者の皆様には本当にお世話になりました。
お家の大切な『宝物』をお預かりしました。
選手たちの一番最初のサッカーの指導者として、少しでも何か役に立てれば・・・そんな思いで指導者一同努力をしてきました。
結局我々指導者が選手たちに教えてもらったことばかりでしたが・・・
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
またこの先、ペルナのジュニアユースに引き続き所属していただける選手・保護者の皆様は、これからもよろしくお願いします!!
Tudo de bom para voce!
Boa sorte!
Coachしみず
20・21・22日と中学生の静岡遠征に帯同しました。
今現在ペルナのジュニアユースに所属している選手も多数いますし、元ペルナの選手が多く在籍するチームなので、よぉ〜く観てきました(笑)
Aチームはボールもしっかり保持できていたし、ゴール前も崩せていてよかったと思いましたが、最後の仕上げ『シュート』が雑だったり不正確だったり最終のコントロールがズレていてシュートできなかったりと『後一歩』でゴールにならない場面があり、課題がはっきり見えてきた感じがしました。
Bチームは1年生主体で中学からサッカーを始めた選手が、11人中5人というメンバー構成でしたが、これがなかなかいいんです!
『小学4年生?』って思うくらい小さい選手が4人いましたが、小さいなりのサッカーをしっかりやってるんです。
遠くへ蹴ることができないので選手同士の距離は近いですが、ショートパスをパンパンってつないでゆっくりですが確実にボールを進めていくんです。
『やるなぁ』
完全に『今できること』をやってました。
後はゆっくり確実につないでいってるボールを、ゴール前まで運びゴールの中に入れてくるだけ(笑)
こちらも課題がはっきりしました。
2日目の会場で三重の指導者に偶然会いました。
「最初どっちが八風か分からんかったけどすぐ分かりました。中学になってもペルナのスタイルは変わってませんね」
って言われてうれしく思いました。
これからもゆっくりコツコツやっていこうと改めて今回の遠征に帯同して思いました。
Coachしみず
21日は朝上小学校で4年生以下の試合でした。
久々のホームゲームでしたが、指導者の都合で外部コーチにお願いしてのゲームとなりました。
ただ外部コーチでは細かいところまで分からないので5・6年生にコーチを頼みました。
当日は試合がなかったにもかかわらず、数名5・6年の選手が行ってお手伝いをしてくれました。
4年生から幼稚園の選手の面倒をみることは結構大変だったんじゃないかな(笑)
下の選手に試合をさせながら自分たちも時間を見つけてはゲームを楽しんだようです。
外部コーチは下の子の面倒をしっかり見ている上級生に驚いていましたが、それよりももっと驚いたことがあったと言っていました。
それは、『そうじ』です。
試合日程が全て終わり後片づけになったらグランドにとんぼをかけて整備することはもちろん、全部のチームが着替えに使った玄関ポーチの掃き掃除とトイレ掃除を自分たちで始めたらしいのです。
『やるなぁ』
やっぱり指導者が頼りないと選手がしっかりするのでしょうか(笑)
大人でもついうっかり忘れてしまいそうなことを自分たちで気づいてできるなんて・・・
改めて子どもたちの持っているパワーというか、可能性の大きさを感じました。
本当にペルナの子どもたちと一緒にサッカーをやってきて良かったと思いました。毎回子どもたちに教えられることばかりです。
いよいよ月末の『Jogo com PERNA』がペルナでのジュニアサッカーの最終戦になります。この先まだまだサッカーを続けていく上で一つの通過点に過ぎませんが、一応の区切りになります。ピッチ内・外ともに最高のパフォーマンスを魅せてもらいたいと思っているし信じています。
めっちゃ楽しみです!
Coachしみず
枯れた芝生 まばらな観客
強くしたい 世界と戦いたい・・・
サッカーを愛する人々の情熱と
1日1日の積み重ねが『J』を生み
W杯出場が当然の出来事になった
忘れていないか 感謝の心を
なくしていないか ギラギラした目を
2010年6月 南アフリカ
受け継がれてきた蹴球人たちの魂を胸に
闘え そして熱くなれ
元日本代表・ガンバ大阪の永島さん(現ニュースキャスター)が、日本サッカー界への思いを語ったものです。
197〜80年代に日本サッカーリーグ(JSL)でプレーした選手は、枯れた芝生にところどころ土が顔をのぞかせているピッチ・1000人にも満たない観客の前で必死にプレーしていました。
今のJリーグの2・3万人の観客など夢のまた夢で、応援に来てくれた家族や友人をスタンドで見つけることは簡単だったようです(苦笑)
日本で『フットボール』がまだメジャーになっていなかったころから、日本サッカー界のために多くの人たちが努力してくれたおかげで、今の日本代表やJリーグがあります。
当時は、午前中に仕事をして午後練習するのが当たり前で、生活はギリギリでしたが目はギラギラして強烈な個性派の集団でした。
そのころから比べると今は恵まれているぶん、熱い気持ちが薄れてきているんじゃないかなって思ったりもしますが・・・
G大阪の遠藤選手が故郷の鹿児島に里帰りし、母校鹿児島実高を訪問、全校生徒の前で挨拶しました。
その直前に恩師であるサッカー部総監督の松沢さんに『ネクタイを上までしっかりしめろ!』と叱られました。
遠藤選手は『(服装を)ちゃんとしていても直せって言われる。相変わらず厳しい』と苦笑い。
前夜に松沢総監督らと食事をし、地元名産の黒豚を振る舞われました。しかし、体脂肪が増えることを気にして野菜しか食べなかったそうです。ビールもコップに半分だけ。
総監督は『アイツも本当のプロになったんだな』と喜んだそうです。
そういえば、Jリーグが開幕して1・2年目のころに、永島さんと当時の日本代表の主将と一緒に食事をする機会がありましたが、永島さんも酒は口にしませんでした。その時『やっぱりプロやなぁ』って感じたんを思い出しました。(ちなみに主将さんはたばこも酒もやってましたが・・・苦笑)
昔の蹴球人たちは日本にフットボールというスポーツを『普及』させることに必死でしたが、今の蹴球人たちはその普及とともに『レベルアップ』に必死になっています。
岡田ジャパンの目標『W杯ベスト4』に少しでも近づけるよう、微力ながら我々も協力していきたいと思います。
Coachしみず