サッカーの母国“イングランド”が66年大会以来、44年ぶりとなるW杯優勝目指して本気です!
近年は、毎回「優勝候補」に名前があがりながら、ここ一番で「勝負弱さ」を発揮して優勝を逃してきたイングランドが、金に糸目をつけずに思い切った「ボーナス作戦」に出るようです。
イングランド協会(FA)は、欧州予選8連勝でW杯出場を決めたファビオ・カペッロ監督に対し、100万ポンド(約1億5000万円)のボーナスを支給しました。さらに優勝すれば100万ポンドという世界最大級のボーナスを提示して、66年以来のW杯優勝を狙っています。
このイタリア人監督のカペッロ氏の年俸は600万ポンド(約9億円)。W杯で世界一になれば、同監督の来年の収入は、年俸+ボーナスで最低800万ポンド(約12億円)。恐ろしい金額になります!
巨額のボーナスは監督だけではありません。選手に対しFAは予選で出場回数が多かった主力選手16人に「1人30万ポンド(約4400万円)」の出来高ボーナスを支払いました。
今回のW杯で優勝すれば、さらに1人35万ポンド(約5100万円)が支払われると予想されています。
召集メンバー23人として、W杯優勝を果たすとFAは予選・本大会を合わせて「約1500万ポンド(約22億円)」もの巨額ボーナスを支払うことになります。
しかし、W杯出場における英国での経済効果は推定10億ポンド(約1470億円)、世界一となれば賞金やスポンサーからの副収入を合わせ「1億ポンド(約147億円)」がFAに流れ込むといいます。そう考えれば1500万ポンドはおかしい数字ではないのでしょうか。
日本ではどうでしょう?日本代表に初めてボーナスが支給されたのは、91年のキリンカップ。カズの提案を協会が受け入れて1人50万円の優勝報酬を支払いました。
06年ドイツW杯では、勝利:100万円、引き分け:50万円、1次リーグ突破:500万円、8強:1000万円、4強:1500万円、準優勝:2000万円、優勝:3000万円と細かく金額が決められていて、今回の南アW杯も大きく変わることはないようです。
このボーナスは全選手とコーチ陣に支払われるもので、監督とは別に「特別ボーナス契約」を結んでいます。
「お金\」「お金$」といやらしい話(苦笑)になってしまいましたが、イングランド代表の選手組合は、07年6月に「チーム・イングランド・フットボーラーズ・チャリティー」を設立しました。
これは、南アW杯終了までに「100万ポンドの寄付金」を募ることを目標にしています。
FAは各代表戦のベンチ入りの選手に「勝利給1500万ポンド(約22万円)、引き分け1000万ポンド(約15万円)、負け750万ポンド(約11万円)」を支払っていますが、同チャリティー発足以来、選手たちはその「出場給」をすべて寄付しているそうです。
サッカーの母国イングランドでは、代表クラスの選手たちは巨額のマネーを受け取り、子どもたちに「夢」を与え、チャリティーマッチなどを企画して社会に貢献しています。
プロサッカー選手は“身体一つ”で『夢』と『社会貢献』という責任を果たしています。
少しでも日本のサッカー界が近づくことを願います。
Coachしみず
10年南アW杯の各大陸予選も、プレーオフとアフリカ地区の最終節を残すだけとなり、残りわずかな出場枠を争っています。
そんななか、今回も様々なドラマが世界中で起きました。
クロアチアは最終節カザフスタン戦の前に起きた珍事件でピンチに陥っています。
最終節を前に主力の大半が負傷で戦線離脱。苦しい状況を打開するため、事前合宿中に決起集会を開きました。
しかし、酒を飲み過ぎた選手同士が、殴り合い寸前の大げんかを始めてしまい、監督から数名の選手は代表から追放されてしまいました。
北中米では、ワシントンで『ドーハの悲劇』が起きました。
米国戦後半ロスタイムまで2―1でリードしていたコスタリカは、そのまま勝利すればW杯本大会出場の北中米カリブ海地区3位が決定するところでした。
ところが、タイムアップまで残り10秒ほどになったラストプレーの相手コーナーキック、ヘディングシュートを決められてしまい、ウルグアイとの大陸間プレーオフに回ることが決まってしまいました。
まさに『北中米版ドーハの悲劇』です(苦笑)
こんないろいろな物語がW杯にちょっとしたスパイスを加えます。
アルゼンチンは本大会出場を決めました。
ポルトガル・フランスはプレーオフに進みました。
この先どんなドラマが待っているでしょうか。
めっちゃ楽しみです!
Coachしみず
17日は奈良県へ6年生と2年生で試合に行ってきました。
普段は、だいたい一学年で試合に出掛けるので今回は数少ないパターンでしたが、なかなか面白いものとなりました。
当日は、指導者の関係で私が一人で引率して、しかも試合時間が2チームの3試合全てが重なってしまいました。
そこで、2年生の準備を6年生に担当してもらうことにしました。
流石6年生!試合慣れしているので
『やらなければならないこと』がわかっています。
2年生の試合の15分位前になると
『ちびっこ集合』の声がかかります。
『もうすぐ試合やで準備して』
『試合でる人決めるでじゃんけんして』
完璧でした。
6年生たちはちびっこの世話を焼きながら自分たちの試合の準備もします。
こうして慌ただしく3試合ずつ、合計6試合をこなしましたが試合内容も良く楽しい1日になりました。
『いつの間にか6年生は成長したなぁ』
チームの目標
『自分のことは自分でする』
をクリアーしてその上
『下の子の面倒を見る』
までできてきていて嬉しく思いました。
このまま『自立した選手』になっていってもらいたいものです(笑)
Coachしみず
ご無沙汰です、チョロです!
私もチョロっとですがY君の試合見に行きました。
いつも家で見る時と違ってちょっと、凛々しかったように思いました。
まだペルナ発足前だったと思いますが、チョロと菰野の赤熊と四日市の白熊と草サッカーの帰りに、赤熊が
「この辺でYの試合やっとんで寄ってって〜」
と言い出したので試合会場に行ってみると、Y君が3人を見つけて
「みんな僕見に来たん?僕見に来たん?」
と笑いながら寄って来て
「とーさん、ほんで、これとーさんの友達」
って自分の友達に紹介してくれた時のはしゃいでた顔がなぜか思い浮かんできました。
かわいらしかった笑顔が凛々しい大人の顔になって!
チョロもハゲるはずやわ!
チョロコーチ
この3連休は高校サッカー界最大の大会「高校サッカー選手権」の三重県予選がおこなわれました。
今年は、チーム名が「ペルナサッカークラブ」になってから2回目の卒部生が高校3年生になっていて、高校生活最後の選手権を戦いました。
今回、最後の選手権を戦ったペルナOBは2人。
2人とも違うチームでしたが結果は・・・
10日におこなわれた1回戦では、ペルナOB2人の活躍で両チームとも勝利!12日の2回戦に駒を進めました。
12日の2回戦では両チームとも相手は優勝候補!
厳しい戦いが予想されました。
チームのムードメーカーだったN君の対戦相手は四中工!
善戦しましたが1-3で破れてしまいました。
もう1人のチームの中心だったY君の対戦相手は津工業!
開始早々にフリーキックから失点した1点が重くのしかかり、再三津工業ゴールに襲いかかりましたが0-1で惜しくも破れました。
私はこのゲームを観戦しましたが、最後まで諦めずフェアーに戦い、「まだいけるぞ!」と声を出してチームメイトを勇気付けるY君の姿に「成長したな」って感心しました。
試合終了後は、自分たちがかなえられなかった夢を相手チームの選手に託すかのように握手。健闘をたたえあっていました。
自分のチームのベンチに戻ってきてからは、後輩たちが次々と握手に訪れます。
「お疲れ様でした」
後輩との関係を物語るシーンに熱いものがこみあげてきました。
このY君、小さいときは結構「個性的」な子どもでした。
低学年のときは試合中コート内で「砂山」を作って遊んでいたり、遠征に行けば知らない間にどっか行ってしまうし、なにかとコーチ泣かせな選手でした(笑)
サッカーは「子どもを大人にする」といいますが、まさにその通りだと思いました。
我々ペルナの指導者は、「高校でサッカーを続けられるか」が一つのキーワードだと考えています。
中学はほとんど「ペルナ→八風中」の流れでサッカーを続けられますが、高校になるといろいろな要素がからんできて“一時的に”サッカーから離れる選手が増えてしまいます。
“一時的に”というのは、ペルナでサッカーの楽しみを知った選手は、高校でサッカー部に入らなくてもその後必ず「草サッカー」などでサッカーをプレイする場所に戻ってきてくれると信じているからです。
今年の高校3年の学年はペルナから6人が巣立っていきました。
うち高校サッカーで燃えていた(笑)のは3人(1人は夏に引退しました)
確実に成長していました。
いろいろ大変なこともあったでしょうが、高校サッカーを続けてくれて良かったなぁって思いました。
ペルナでは一人でも多く「高校サッカー」に燃えられる選手になれるよう、土台作りをしっかりやっていきたいと思います。
12日に負けて高校サッカーに幕を降ろした選手たち、勝ち続けるチームは1チームだけで、他の全てのチームは負けてしまう。
これで終わりじゃない!
やり残したことがあるから、次の一歩が踏みだせる!
これからもいろいろなことに全力でがんばってください。
そして、感動をありがとう。
Coachしみず
今年5月、誤審撲滅を目指す国際サッカー連盟(FIFA)会長のジョセフ・ブラッターは、試合でピッチに立つ審判員数を今の3人から5人に増やす計画を明らかにしました。
増員した審判を両ゴール近辺に1人ずつ配置、今季の欧州リーグから試すということです。
つい最近までボールがラインを越えたかどうかを判定する装置として、『ICチップ内臓ボール』を開発していましたが、試験導入の段階で凍結されました。
結局は、『サッカーは人間がする競技。それなら、判定も人間がやろう。間違いがあっても、それもサッカー』ってことです。
ただ、その分審判には大きなプレッシャーがかかります。今のスポーツの世界はビッグビジネス。一つのゴールに巨額のお金と利権が絡んできます。審判の判定が大きく作用する可能性があり、大きなプレッシャーとなることがあります。
日本人は、『審判はミスをしてはいけない』と見てしまいがちですが、当然ミスもあります。選手は試合中に数回〜数十回ミスをしますが、審判にはノーミスを期待する。おかしな話です。
その期待に押し潰されて『恐怖症』になり、審判を辞めてしまう人もいるほどです。
バトミントンに『レット』というルールがあるそうです。シャトル(羽根)の落下点がラインの『内か外か』審判が判定できなかった場合、両手で両目をふさぎ『分からない』を宣言します。プレーはやり直しで再開されます。
人間が審判するってそういうことじゃないでしょうか(笑)
サッカーの審判でも明らかに『今見逃したな』っていうときがありますけど、逆ギレのように判定している人を見かけます。分からなければ『分からない』もアリかなって気もします。
誤審を肯定する気はありませんし、今後も誤審をなくす努力をしていかなければいけないと思いますが、『誤審もサッカーの一部』ということも言えるんじゃないでしょうか。
過去のサッカー名場面の中にも、『誤審』がキーワードになっているものもたくさんありますしね(笑)
Coachしみず
全サッカー選手の夢「ワールドカップ(W杯)」の出場国の決め方って合ってますかねぇ・・・
日本代表の岡田監督は、「10年南アフリカW杯でベスト4を目指す」と公言していますが、現時点では「出場権」を獲得したにすぎません。
その出場権も・・・
10年W杯は世界中を6大陸に分けて全部で32チームが参加できます。
内訳は、
@アフリカ・・・開催国南アフリカの他5チーム(53)
Aアジア・・・4.5チーム(46)
Bオセアニア・・・0.5チーム(11)
Cヨーロッパ・・・13チーム(53)
D北中米カリブ海・・・3.5チーム(35)
E南米・・・4.5チーム(10)
※( )内の数字は予選出場予定国・地域数
※アジアの4.5とオセアニアの0.5は、アジア5位とオセアニアの1位によるプレーオフで勝ったチームが出場権を獲得の意味。同様に北中米カリブ海の4位と南米の5位もプレーオフ。
これによるとアジア枠は46チーム中4.5枠。北中米カリブ海の35チーム中3.5枠や、アフリカの53チーム中5枠と比べると「確率的」には同等と思えます。(ヨーロッパの53チーム中の13枠はともかく、南米の10チーム中4.5枠は破格の扱いです!)
しかし、世界中で32枠しかないことを考えると、アジアの4.5枠というのはどうでしょう。
各国の強さを計るバロメーターとして「FIFAランキング」というのがあります。国際Aマッチの結果から独自の算出方法で毎月ランキングを発表しています。
09年9月のランキングでは1位がブラジル、以下スペイン、オランダ、イタリア、ドイツと続きます。
本当にこのFIFAランキングが正確なら、1位から32位までがW杯で戦えば本当に強いチームが分かるはず。にもかかわらず、W杯の出場枠決定にこのFIFAランキングは反映されません。まったく関係ないのです。それは、このランキングが本当に強い国が上位にくるのではなく(ベスト10〜20は強い国ですけど)「国際Aマッチ」を多く消化したチームが上位にくるシステムだからです。
ただ、他に順位を参考にする資料がないので、百歩譲って参考にしたとしてアジア勢の順位を見ると・・・
オーストラリア14位、日本40位、韓国49位がアジアベスト3です。
「32」しかない枠で40位の日本が世界最速でW杯出場を決め、ベスト3が49位の地域の参加枠が「4.5」はおかしいですよね(苦笑)
またしても百歩譲ってみても「2〜2.5」ってとこが妥当な数ではないでしょうか。
ちなみにブラジル人は、強い国として認めるのはW杯の結果だけです。W杯で優勝したチーム、上位にきたチームしか「強国」として認めません。リーグの合間の親善試合でなんぼ勝っても、1.5軍のチームが半分観光で来てホームで「勝った、引き分けた」って喜んで「ほんでなんぼのもん?」って感じです。
こんなW杯出場国の決め方で南ア大会に「ポルトガル」や「アルゼンチン」が出場できなかったら・・・
楽しみが半減してしまうと考えるのは私だけでしょうか。
世界中から「日本W杯出場」が「当然!」と思われるのはいつのことでしょう?
我々少年の指導者にかかっていると私は思っています。
Coachしみず
アフリカが変わってきました。
2010年南アフリカW杯の出場を一番乗りで決めた日本ですが、他の地域では常連国が苦戦しています。
欧州ではポルトガルが、南米ではアルゼンチンが予選敗退の危機に陥っています。
欧州・南米に比べるとあまり話題になりませんが、アフリカでも勢力図が変わってきています。
世界大会常連で昨年の北京五輪で銀メダルに輝いたナイジェリアや、現アフリカ王者エジプトが予選敗退の可能性が出てきました。
「ブラックスターズ」ガーナは出場権を獲得しましたが、ナイジェリアはグループリーグでチュニジアにリードを許し、自力での出場権獲得はなくなり、エジプトも最終戦でグループリーグトップのアルジェリアとの直接対決を残していますが勝ち点3差がついています。
元ガンバ大阪の「エムボマ」の祖国で有名になったカメルーンは、なんとかグループリーグ首位ですが2位ガボン(!)、3位トーゴまでに出場の可能性があります。
ドログバ・カルーのチェルシー2トップを要するコートジボワールの出場権はほぼ確実ですが、開催国南アフリカ+「5つ」の出場枠をめぐる戦いはまだまだ熱そうです。
アフリカの強豪国やW杯常連国が簡単に勝てなくなってきた理由の一つにFIFA(国際サッカー連盟)の施策があります。
04年5月に南アフリカW杯開催が決定しましたが、同時にFIFAは「Win in Africa with Africa(アフリカとともに、アフリカで勝つ)」プロジェクトを打ち出しました。
W杯の収益から約80億円を投入し、国連やEU(欧州連合)もこれに賛同。これが英国やフランス、中国、日本など多くの国の援助を生み出しました。
10年W杯を目指して、09年にはU-17とU-20W杯をナイジェリアとエジプトで開催、世界の目はアフリカに向いています。
資金難が普及と強化の妨げになってきたアフリカにとって、経済的な援助は何よりも大きいはず。多くの選手がヨーロッパのトップリーグで活躍し、欧州の監督が各国代表チームの監督を務め、アフリア人の身体能力に戦術を入れて戦えば日本人はどうしたらいいんでしょう(苦笑)
02年日韓W杯で韓国がベスト4に入りましたが、今回の10年南アW杯でのアフリカ勢の活躍は間違いないものになりそうです。
Coachしみず
ハードだったシルバーウィークが終わりました。
19日がU-12と9、20日がU-12と10、21日がU-10と9、22日がU-12と9、23日がU-10と8で毎日2カテゴリーの試合でした。
1カテゴリーで1チーム作れないので下のカテゴリーから召集がかかりました。
結果、U-9と8の選手の一部が毎日試合になりました。
全て参加したのは5選手。
多い日には1日5試合程こなすことになりましたが(最大は1日6.5試合でした)最終日まで元気にがんばっていました。
本当に子どもの持っているパワーというか、可能性は無限だなって今回の連休で再確認しました。
5・6年生相手に4年生がキレキレでプレーします。2年生のちびっ子がGKで4年生の強烈なシュートを何度も身体ではじき返します(って言うか身体におもっきり当たってます)
1日に7試合というハードスケジュールにもかかわらず、最後の試合でもめっちゃ走ってます。
「すごいなぁ〜」
「めっちゃがんばってるなぁ」
「ありえへんなぁ」
仲のいい指導者とニコニコしながらそんなことを話しながら見ています。
「あいつうまなったなぁ」
「あいついつの間にあんなことできるようになったん?」
やっぱり選手は試合を経験することで成長します。
今回も5日間連続で体力的にしんどかったと思いますが、たくさん試合を経験した選手は間違いなく上達しています。
相変わらず試合はほとんど負けてしまいました。でも“個人”を見ればうちは全然負けてないなって思いました。
“今”は負けているかもしれません。しかし、“将来”は負ける気がしません。
選手の将来の可能性を信じて、これからもがんばっていこうと再確認したシルバーウィークでした。
めっちゃおもろい5日間をありがとう!
Coachしみず
八風中の熱く長い夏が終わりました。
13日の最後の公式戦「高円宮杯県大会」の1回戦で敗れ、今年の3年生の熱く長かった夏が終わりました。
一時は、昨年のディフェンディングチャンピオン相手に2-1とリードしましたが、最後に逆転を許してしまい2-3で敗れました。
私は、ペルナの大阪遠征と重なっていたため観に行くことはできませんでしたが、「熱い」いいゲームだったようです。
スタメンは全員ペルナのジュニア出身の選手で、そのままメンバーチェンジすることなく最後まで戦ったそうです。
その中で3年生は9人出場していましたが、この9人はペルナに入ったときから長い選手で9年間ずーっと見続けてきました。
チーム内でのサッカーの競争はもちろん火花バチバチでしたが、それ以外にも運動会やマラソン大会、ときには勉強(!)も競争してお互いを高めていました。
長く一緒にやってきた仲間は、ときには信じられないようなコンビネーションを魅せることもありました。
ペルナの目標「魅せるサッカー」を実際にピッチ上で表現して、指導者を含めた見る人たちを魅了してきました。
とりあえず中学のサッカーには区切りを付けることになりますが、選手たちのサッカーはまだ始まったばかりです。高校年代になると、今までのように同じユニフォームを着て戦うことはできなくなりますが、今度は違うユニフォームを着て同じピッチ上でしのぎを削ることになると思います。
いろいろな舞台で「ペルナ出身」の選手が活躍することを楽しみにしています。
選手たちは多くのことを経験しました。
我々指導者も同じように多くのことを経験しました。
本当に楽しかった。
ありがとう!
これからも「ペルナのこだわり」を忘れずに努力していってください。
成長を影ながら応援しています。
Coachしみず