初蹴りA

  • 2012年01月03日(火)
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 ジュニアチーム

訃報・詳細

  • 2011年12月31日(土)

ひでコーチのおやじさんの通夜・葬儀の日時が決まりました。

通夜:1日18時〜

葬儀:2日11時〜

場所:菰野町・斎奉閣(菰野郵便局東)

       PERNA SC しみず

訃報

  • 2011年12月30日(金)

ひでコーチのおやじさんが亡くなりました。

時期が時期なので、通夜・葬儀の日時は未定です。

問い合わせはコーチのしみずまで。

          PERNA SC しみず

仕上げの育成

  • 2011年12月29日(木)

サッカージャーナリストの小澤一郎という人が、『今こそ目を向けたい「18才以降の仕上げの育成」』と題して、コラムを書いていたのを読んで非常に興味深かったので、それを元に少し『育成』について考えてみたいと思います。

日本では高校卒業後の18歳、あるいは大学卒業後の22歳で、選手がプロ入りした時点で育成が終了したような雰囲気になっているようですが、本当にそうでしょうか?

海外では、ユース上がりの選手がセカンドチームで揉まれ、実戦経験を積みながらトップチームで通用する選手に成長していく過程があったり、バルサのカンテラ(下部組織)で15歳でスペイン2部デビューを飾った選手に対し、『鮮烈なデビューでしたね』と日本人記者が言えば、バルサの育成ディレクターは『デビューくらいで騒がないでほしい』と一蹴したりと、『育成期間』とは『トップチームに戦力として定着するまで』と定義付けしているようです。

プロ入り後の育成が日本と海外では少し違うのかもしれません。
例えばJ1の人気チームで出番がなく、くすぶっているようなら、どんどん『期限付き移籍』制度を利用して、公式戦を年間を通じて経験し、また数年後チームに戻って戦力として定着するような環境を作ってはどうでしょう。
なんか、J1からJ2に移籍すると『使えなかった選手』みたいな感じに取られていませんか?(苦笑)

また、一般的に日本では育成というと、『選手を育てる』ことのみにスポットが当てられ、特定のチームや指導者が『あの選手を育てた』となりがちで、それこそが『いいチーム』で『いい指導者』ということになっているようですが、世界のサッカー大国では少し違うようです。

世界のサッカー大国における育成で最も重視されるのは『才能の発掘』、いわいる『スカウト』です。
バルサのメッシやチャビを『育てた指導者』と紹介しているのは日本くらいで、スペインでは彼らを見つけてきたスカウトや、メッシと契約するために店にあった紙ナプキンで契約書を作ったカルロス・レシャックの逸話が取り上げられるようです。
指導者は『かかわった指導者』程度の紹介らしいです(苦笑)
もちろん指導者の情熱・知識・経験等がなければ選手は育ちませんが、やはり選手の成長はその選手の努力と才能によるものが多いと思います。
ペルナ出身の選手も今のユース年代には三重県を代表する選手がたくさんいます。
その全ての選手にジュニア・ジュニアユース時代にかかわりましたが、私が『育てた』という感覚はまったくなく、どちらかと言えば『一緒に成長した』という感じでしょうか・・・
いや指導者として選手に『育ててもらった』かもしれません。
もっと言うと、今の指導のスタイル確立のためには、今ユース年代で活躍してる選手以外の選手に『育ててもらった』部分が大きいのが事実です。

少し話がそれてしまいましたが、プロ入りして『良かったね』で終わらせることなく、プロ入り後も厳しい目と大きな期待、選手への愛情を持ちながら、日本サッカー界全体で『18歳以降の育成』に取り組む必要がありそうです。

       つたえびと しみず

四日市での試合

  • 2011年12月26日(月)
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25日の様子

23・24・25日

  • 2011年12月26日(月)
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23・24・25日の3連休は全員が試合を楽しむことができました。

23日は5・6年が伊賀で招待試合、1〜4年が安濃で試合、非常に寒い1日でした。
特に低学年には厳しかったようで、寒すぎて身体が固まってしまいサッカーどころではなかったようです(苦笑)

24日は6・5・3・2年が安濃で試合。
天気もだいぶ回復し、元気一杯サッカーできました(笑)

25日は四日市で3・4年が試合。
昼ころから風が出てきて寒くなりましたが、待機場所の芝生の上でコロコロ転がりながらじゃれあっている姿は、試合中より楽しそうでした(笑)

3日連続試合ができた3年は大満足!
帰るときには自慢げに『今日○点取ったわ!』と言いにきてくれ、その顔はこれ以上ないドヤ顔!!
おうちでもそんな話で盛り上がったんじゃないですかね(笑)

どんどんサッカーにはまっていく子どもの姿を見ることは本当に幸せなことです。

2011年の試合も全て終わってしまいました。
子どもたちは大きく成長しましたし、我々大人もその子どもたちに育ててもらいました。
6年生の残り少ない少年サッカーを最後までもっともっと楽しめるようにサポートしていきたいと思います。
共にがんばっていきましょう!

      つたえびと しみず

16・17日

  • 2011年12月21日(水)

16・17日は愛知の『クリスマスカップ』に参加しました。

普段まったくやったことのないチームとの試合は、新鮮で勉強になります。

選手たちのプレーは、少し前にサントスのゲームを観た後だったので、なんとなくサントスをイメージしているようでした(笑)

中盤で慌てず落ち着いてボールを回すことは、だいぶできるようになってきましたが、その後がイマイチかなぁ・・・
ゴール前でのアイデアや変化が付けられず崩せません。
うまいことボールは回ってポゼッションも大きく上回るのですが、ゴールに結びつきません。
日本の悪いプレーの典型のようなものです(苦笑)

まぁでも、中盤で慌てずボールを回すことができてきたので、次の段階『ゴール前』を楽しみながら崩せるように取り組んでいきたいと思います。

そこができるようになってきたら目指せ『バルサッカー(バルサのサッカー)』です。
楽しみになってきました!

     つたえびと しみず

クラブW杯決勝B

  • 2011年12月21日(水)
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バルサ優勝!!

クラブW杯決勝A

  • 2011年12月21日(水)
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まもなくキックオフ!

クラブW杯B

  • 2011年12月21日(水)
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観てきましたクラブW杯決勝!

先日のサントスVSレイソルの試合を観て、『ブラジルには追い付けやん』と絶望した者として、バルサがポゼッションしてチンチンにボールを回すんやけど、サントスがガンソとネイマールのコンビでプチュっと点を取って、『2―1でサントスの勝ち』との希望的予想をして会場に入りました(笑)

新横浜の駅から歩いて会場に入る道中、白いユニフォームを着たブラジル人は『サ〜ント〜ス』と大合唱しながら横浜スタジアムへ(笑)

先日のサントス戦のチケットを段取りしてくれたブラジルびいきの友人は、『今のバルサ(コンディションが悪い)なら勝てるかも』と期待大!
サポーターもサッカーの王様ペレがサントスを率いて、前身の世界クラブW杯を制覇してから48年ぶりの世界制覇を信じて疑わないようでした。

結果は・・・

バルサの良さが出て、サントスの良さは全く出ませんでした。

サントスはブラジルらしい、自分たちらしいサッカーをしようとしていたと思いますが、それがバルサの中盤を自由にさせ、守備が後手後手に回り、結果ゴール前でもいいようにやられてしまったという感じでした。

逆にバルサは攻撃面に目がいきがちですが守備がすばらしい。
ボールを失ってからのファーストディフェンダーのスピードと周りの連携が機能して、サントスは2枚看板のガンソ、ネイマールにボールが入らない状態に。
全くサッカーをやらせてもらえませんでした。

前半24分、バルサに2点目が入った時点で試合終了。
テレビで観戦した人に伝わったかどうか分かりませんが、ピッチ上はまったりした雰囲気に変わってしまいました。

勝負に『もし』はありませんが、サントスが数少ないチャンスのうち1点でも取れていたら・・・
0―2になってからのボルジェス、0―3になってからのネイマールのシュートのどちらかでも入っていれば・・・
もう少しバルサも本気になっていたでしょうし、サントスもがんばったんじゃないかな・・・
それにしてもバルサは2―0になってから『流し』ながらも、サントス相手にさらに2点取るとは・・・恐ろしい(笑)

応援はぶっちぎりでサントスの勝ち!
入場前と会場内を見回しての感覚は、人数ではバルサファン7割サントスファン3割って感じでしたが、応援の声はバルサ3割にサントス7割。
サントスサポーターは本物です(笑)
日系を含むブラジル人の応援は熱狂的で、時には恐怖すら感じます。
もし会場がサントスのホームだったら・・・
周り全部がサントスサポーターだったら・・・恐ろしい(笑)
対するバルサファンは、バルサのユニフォームを着てネイマールのお面をかぶっているような、訳の分からないにわか日本人サポーターばかりで、話になりません(苦笑)
日本は平和な国ですねぇ(笑)

試合終了まで終わらない応援の歌も、決して鳴り止むことのないサンバのリズムも、0―4での完敗の前には会場内に寂しく響くだけでした。

バルサのスタメン11人中9人がカンテラ(下部組織)出身であること、サントスはバルサ相手でも自分たちのスタイルを貫き通したことなど、今後日本サッカーのために考えなければならないヒントがたくさん隠されていた今回の決勝戦でした。

『クラブ世界一』を決める大会に今回出場した7チームの全てが、そこで戦うことに値するチームだったかどうかは別として、日本で欧州チャンピオンVS南米チャンピオンのゲームが観れることは本当に幸せなことです。

多くの育成年代の指導者が今回の決勝戦を会場で観戦したことでしょう。
その中のどれだけの人が感じたか分かりませんが、日本サッカーのために『なんとかしなくては』いけません。
その『なんとか』が何であるかは、観た人個人の考えることですが、みんなで力を合わせてがんばりましょう!
急にはできませんが、少しずつやれることはあると思います。
バルサ・サントスがJリーグのチームに変わるように、またバルサ・サントスに日本人が所属し活躍できるように・・・

     つたえびと しみず