最近、06年ドイツW杯を終えて引退した中田選手の本を読みました。
そこには興味深いことが書いてありました。
『このドイツで日本代表がどんな問題に直面し、何を見失ったのか、その検証だけは忘れちゃいけないと思う。次の戦いのためにね』
07年6月に発刊された本なので、W杯終了後1年たったころの話です。
『自分たちのサッカーをついに実践できなかった今回の経験から、次に目指すサッカーが導き出されるはずだよ。敗北を前へ進むための力にすることが、きっとできる』とも言っています。
4年後の10年W杯南ア大会に向けて、惨敗に終わった06年ドイツ大会直後の中田選手の素直な感想です。
日本人は分析することが大好きです。実際、各世界大会が終わると『テクニカル・レポート』と称して、世界と日本の差、世界に通用していること・足りないことなどを検証してDVDにまとめ、その後の各代表・トレセンでの活動に役立てています・・・。
10年W杯が終わって5ヶ月が過ぎ、日本国民にはW杯そのものが完全に忘れ去られてしまいましたが(苦笑)、中田選手が語ったように、日本サッカー界は惨敗したドイツ大会から4年間、その検証をおこない、南ア大会で実践することができたでしょうか・・・。
確かに直前の合宿地でのトレーニングマッチまでは、実践していたし、しようとしていました。しかし、実際はどうだったでしょう・・・。
ベスト16という結果は残しましたが、それは4年前の検証に基づく強化の賜物だったでしょうか。
みなさんはどう思われますか?
しかし、岡田監督というのは非常に頭のいい、すばらしい監督でしたね。
11・12日の2日間、いろいろなカテゴリーでたくさんゲームを楽しみました。
11日はU−12・11、12日はU−9で2日間選手はゲームを楽しんだし、我々指導者は多くのこだわりの指導者と情報交換したり、現状報告をしたりいっぱい話を楽しめました。
U−12・11は、速いプレッシャーのなか、どこまで自分たちのサッカーができるかを見るいいチャンスでしたが、どうしてもプレッシャーのスピードに付いていけず、ミスが増えたりアバウトなプレーが多くなってしまいました。
どこまでいっても『OK!』にはならんなぁ・・・
まぁ完璧じゃないから努力を続けるし、どんどん進化していけるんだと思うし、次が楽しみになってくるんでいいんですけどねぇ(笑)
ハイプレッシャーでも平気でペルナのサッカーができるようになるまで、結局は練習しかないので毎日の練習を積み重ねていくことが大切です。やっぱり少年の指導は『忍耐』です!
U−9は楽しそうにしていましたねぇ(笑)
試合中は口を尖らせてボールを追いかけていましたし、試合の間は砂遊びやGKの練習?シュート練習?に熱中していました(笑)
大会の趣旨がチャレンジマッチだったので、勝ち負けは関係なく順位を付けることもしなかったので(ペルナ的には順位を付ける大会でも同じですけど)、8人制とうたってあるのに9人や10人でやったり、審判もある程度セルフジャッジにしたりとリラックスした雰囲気の中試合は進んでいきました。
指導者はリラックスして観ていましたが、選手は試合が始まると本気モード!1点でも多く取りに行くし、『負けたくない』と顔に書いてがんばっていました。
なかなか試合に参加できない選手もいたので、久しぶりにゲームに出た選手を観て『うまなったなぁ』と感心することばかり。『がんばれる』選手もたくさんいましたし、これからが楽しみです!
U−9は18人の参加だったので、9人の2チームに分けました。
『どやって分けようかなぁ・・・』
ひらめきました!今回は血液型で分けてみました。A型とそれ以外の2チーム。おもしろかったですねぇ(笑)結構性格出てましたよ(笑)
少年のうちにいっぱい楽しんで、『楽しいの貯金』をたくさんしなければいけません。たくさん蓄えておけば、一生サッカーを楽しむことができます。
我々指導者はその貯金のお手伝いをしていきましょう。
それが日本のサッカーの発展につながります。
Coachしみず
『フォワードは、天からの贈り物なんだ。だってそう思わないか。野性的な身のこなしを持ち、どんな状況にあっても攻撃的な精神を忘れず、立ちはだかる敵をかいくぐってゴールを奪う嗅覚を持った人間なんて、決して人工的に作り上げることなどできないよ』
フランスのサッカー誌記者、ヴァンサン・マシュノーという人が言った言葉です。
『つまり私が言いたいのは、才能を見出し、それを結実させることは、人知の及ぶところではない、ということだ。才能を見つけ出しても、怪我で失うこともある。そこには常に運、不運がつきまとう』
天性のストライカーは偶然の産物であると・・・
しかし、こうも言っています。
『しかし、人材を見つけ、育てることを諦めるわけにはいかない。なぜなら、そのことが国のサッカーの行方を左右するからだ。贈り物はどの場所にもたらされるか、どこで育っているかわからない。だからこそ、小さな子どもたちの教育が大切なんだよ。大人たちは、幼いころから才能を見極め、その才能が間違った道を進まないように教育しなければならない。それが未来のサッカーのためにできる最良のことだ』
子どもたちがサッカーを始める最初の指導者、ジュニア年代の指導者として大いに考えさせられる文章です。
小学生の指導者は、何も知らない真っ白な子どもを、サッカーの世界へと導いていきます。
小学1年からチームに所属すれば、他のどのカテゴリーよりも長い6年間もの間一緒に学ぶことになります。
『世界に通用するストライカーが釜本以来出ていない』
という事実を、少年の指導者はどう考えますか?
Coachしみず
27・28日も多くのこだわりのチームとゲームを楽しむことができました。
指導者が個性的な人ばかりなので(笑)、自然とその指導者が指導しているチームは個性的なチームばかりです(笑)。
特に夜の指導者は超個性的で、昼間の顔とは違った顔が見えて大変楽しく過ごせました(笑)。
今回も非常に『細かい』部分のこだわりについての話が出ました。なかなかグランドで分からないことも、夜ゆっくり話を聞いてみると『なるほどなぁ』と思わされることが多くて、毎回勉強になります。
2日間集まった指導者たちは多くの細かいこだわりを持っています。それもびっくりするほどの(笑)
ただ、その全てを選手に伝えるかどうかは、その指導者の考え方一つです。知っていることを全て伝えるのも一つの方法。知っていてわざと伝えないのも一つの方法。選手によって伝えたり伝えなかったり・・・
そんなところにも指導者のこだわりが見え隠れして勉強になるし、おもしろいです!
今回特に思ったのは、やっぱり『個人の技術が大切』ということ。
6年生の残りも少なくなり、ますます選手が成長していくのを観て、『個人の技術なくして、グループ・チームの形はできない』と強く思いました。逆に言えば、個人の技術がしっかりしていれば、どこのチームに行っても対応できるということ。
今回集まった全てのチームの選手が、以前見たときより確実に成長していました。もちろん、ペルナの選手も成長しています。
後何回同じチームとゲームできるか分かりませんが、6年生の最後まで競い合って技術を高めていきたいと思います。
Coachしみず
『ピッチで自由であるためには、まず選手が自立している必要がある。しかも、自由にプレーするためにはそれだけの能力がなければならない。それには自らを律し、能力を高めるための不断の努力が必要になる。つまり、「自立」と「自律」に支えられたものが「自由」なのだ。試合の主役は選手自身であり、監督はそれに同伴することしかできない。ピッチの上で選手は自由であるべきだ。なぜなら、選手たちの自由な創意がなければ、小さなチャンスを大きく押し広げることも、不意に訪れる予測不能な危機にも対処できないのだから・・・』
以前、日本経済新聞に掲載されたコラムの一部です。
まさにサッカーそのものを言っている文章であるとともに、サッカーというスポーツの一番の魅力であり、かつ最も難しい部分を表している文章とも言えるのではないでしょうか。
自由・・・実は日本人にとって、簡単なようで難しいことのような気がします。
このテーマを考えるときにいつも思うことがあります。
それは、『日本人にサッカーは向いているか?』ということです。
今までは『身体能力的に日本人は世界で勝つことができないのではないか?』と考えていましたが、最近は『メンタル的・文化的に世界で勝つことができないのではないか?』と考えるようになりました。
確かに日本人は知的で器用な人種だと思います。ただ、それが日本人のサッカーに対する成長を止めているような気がします。
上手く表現できませんが、最初から球状のものを磨いてきれいな球にしているのが日本のサッカー、それに対し世界のサッカーは、最初はゴツゴツな大きな岩を削っていってきれいな球にしているような気がします。
なんとなく、それこそが育成年代の『自由』につながっているような・・・んー・・・やっぱり上手く表現できません(汗)
サッカーだけでなく、外交も下手な日本が、世界と対等に戦うためには子どものころ(育成年代)に何をするべきで、何をしないべきか?真剣に考える必要があります。
『自由』には『責任』が必ず付いています。
Coachしみず
皆さんは『第1回W杯』がウルグアイで開催されたことを知っていますか?
第1回W杯は1930年、南米の小国ウルグアイで開催されました。
ヨーロッパで生まれたとされるサッカーの記念すべき世界大会の1回目が、なぜウルグアイで開催されたんでしょう?
W杯の元締めというべきFIFA(国際サッカー連盟)が設立されたのが04年。それまでには、ヨーロッパの各国でそれぞれのサッカー協会が設立されており、国同士の国際試合も盛んに行われていました。そうするとルールやグランドの規格など様々なことを統一する必要が出てきました。それに国同士の国際試合が盛んになってくると、『どの国が一番強い?』という話題になり、各国のサポーター達は『うちが一番』と口をそろえて言い始めました。それなら各国のサッカー協会が集まって連盟を作り、世界一決定戦をやろうって話になりFIFAが設立されました。
11年にはラテン・アメリカ諸国がFIFAに加盟し、FIFAは世界的な規模になりました。(日本は29年に加盟)
各国の思惑もありW杯第1回の開催は30年になってしまいましたが、その開催国に立候補したのは、イタリア・スペイン・オランダ・スウェーデンのヨーロッパ4ヵ国と南米のウルグアイでした。普通に考えるとヨーロッパの国の中から開催国が決まると思われていました。FIFAの中心はヨーロッパの国々でしたし、当時ヨーロッパから南米へは船で2〜3週間もかかっていたので南米開催になると、多くのヨーロッパの国が参加できないと思われていたからでした。しかし、大方の予想に反してFIFA第3代目会長・フランス人のジュール・リメはウルグアイを開催国に選びました。その真相は分かりませんが、30年がウルグアイの建国100周年にあたることと、ワールドスポーツとしてサッカーを世界に認知させる意味合いがあったと言われています。
当のウルグアイは、24年パリ・28年アムステルダム大会と、オリンピック2連覇をしていて『ウルグアイが世界チャンピオンだから当然!』と思っていたようです。
ちなみにウルグアイで開催された第1回W杯の参加国は13。開催国ウルグアイ、南米からブラジル・アルゼンチン・チリ・ペルー・ボリビア・パラグアイ、ヨーロッパからフランス・ベルギー・ルーマニア・ユーゴスラビア、中米からメキシコ、北米からアメリカの計13ヵ国で、決勝は開催国ウルグアイがアルゼンチンを破り、初代王者に輝きました。
私も一度だけ足を踏み入れたことのあるウルグアイの首都モンテビデオ。そのモンテビデオを中心に開催された第1回のW杯にこんな物語があったとは・・・深いです!
Coachしみず
先日、『メンタルトレーニング勉強会』に参加してきました。
そこで非常に興味のある話が出てきました。
日本に来ているオーストラリア人のラグビーコーチが『日本は、高校生の全国大会を廃止するべきだ』と言っているということでした。
どういうことかと言うと、『勝つことにこだわりすぎて危険だ』ということです。もっと言うとそれは高校生だけに言えることではなく、中学生・小学生にも言えることでしょう。
我々少年の指導者は、『高校年代も育成』と思っているので、全国大会の県予選を観に行くと『がっかり』します。
私は観に行ったことがないので分かりませんが、少年の全国大会の県予選を観に行っても同じことを思うんじゃないでしょうか。
スポーツをやっている以上、勝つために全力を尽くすべきだと思うし、それは当り前のことだと思います。しかし、それはトップの話で育成年代には当てはまらないと思います。
対外的に育成年代の指導者は『育成しながら勝つ』と言っていますが、果たして公式戦になっても育成を一番に考えているでしょうか。
『勝つことが楽しく好きな人は、負けたらそのスポーツ自体を嫌いになってしまう』
勉強会での一言です。
いわゆる『燃え尽き症候群』ってやつですね。
学校の先生にも同じことが言えるようです。勉強の結果を求めすぎて勉強の楽しさを教えていない。そのため大学に入るためにめっちゃ勉強するけど、大学に入った途端に勉強しなくなる。
スポーツ・勉強の持つ本来の意味とは何でしょう?
結果ではなく、選手の成長を願い、喜べる指導者になりたいものです。
Coachしみず
7日は5年生の招待試合でした。
年に数回程お付き合いのあるチームからのお誘いで、8チームのトーナメント形式の大会でした。
合計3試合楽しむことができましたが、そのうち2試合が同点でのPK合戦となりました。
ペルナは4種登録していないので滅多にトーナメント戦を戦うことはありません。よってほとんどPK戦をやったことがありません。昔はあったんですけどねぇ・・・(4年前の6年生最後の公式戦のチャンピオンズカップの準決勝でPK負けしたことがあります(苦笑))
今回も蹴る人はじゃんけん!
全員が『蹴りたい!』と言ったので5年生を優先に(当日の参加人数の関係上、前半5年生メイン・後半4年生メインだったので、2回とも5年生は後半2・3人しか出場していませんでした)4年生はじゃんけんで決めました。
ベンチにいる5年生は『おれも蹴りたい!』とうるさく(笑)言ってましたが、残念ながらベンチにいる選手にその権利はありません。
『おれPK外したことないで!』と張り切って言っている選手に、『お前PK蹴ったことないやろ!』と突っ込みを入れながら楽しく観ていました。
結果は1勝1敗。まあまあです(笑)
蹴る選手の顔は、ベンチで見ていても分かるほど緊張しており、普段感じることのないプレッシャーのなかでのPK合戦は選手たちにとって大きな経験になったはず。
5年生は全員成功しましたが、少しはメントレが効いているのかな・・・なんて思いました(笑)
これからも選手たちにはいろいろな経験をして、どんどん成長していってもらいたいものです。
Coachしみず
皆さんはテレビ東京で放送されていた『ダイヤモンドサッカー』という番組を知っていますか?
1968年に放送が始まった(私と同い年です!)当時唯一世界のサッカーを観ることができた番組です。
実は、私はほとんど観たことがありません(苦笑)
Y先生は毎週観ていたそうで、世界のトップレベルの選手の技をまねしていたそうです。
当時サッカーの人気は低く、他にサッカー中継がなかった時代なのでこの番組は結構レアだったようです。
解説・岡野、実況・金子の名コンビは1974年、W杯西ドイツ大会の決勝戦を衛星生中継しました。同じ日、日本では参院選の投票日で他局は競って開票速報を放送していました。自民党の選挙本部では、開票を伝えるテレビに交じって、1台だけサッカー中継が放送されているという不思議な光景だったそうです。
実況の金子さんの『サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかがですか』という恒例のオープニング挨拶が、いつもより興奮気味だったということです(笑)
今では考えられないことですが、日本サッカーの普及のためにコツコツと努力された人たちのおかげで今の日本サッカー界があります。我々末端の指導者も日本サッカーの発展のためにがんばっていこうではありませんか!
ちなみに決勝戦の結果は、スーパースター・ヨハン・クライフ率いるオレンジ軍団オランダのトータルフットボールが、同じくスーパースター・ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラーの西ドイツに1−2で敗れ、地元西ドイツの2回目の優勝で幕を下ろしました。
Coachしみず
30・31日は大阪から仲の良いジュニアユースのチームが泊まり掛けで来てくれました。
30日は季節外れの台風の影響で、当日の雨は大したことなかったのですがグランドはグチャグチャ!大きな水たまりにグランド使用は断念。体育館でのミニゲーム大会を楽しむことになりました。
大阪のジュニアユースのチームと兵庫のジュニアユースのチーム、それに八風中とペルナの4チームでグルグル回しで1日中“発表会”をおこないました。
全てのチームが技術的にしっかりしているので、狭いスペースでのミニゲームでフィジカルに頼ることのないスタイルは、中学生に混じっての小学生でも全然問題なくペルナの選手も、『今できること』をしっかりやっていました。
もちろん小学生はがんばっていましたが、3チームの中学生の技術は小学生ががんばることを許すことができる技術を持っていました(言うてる意味わかります?んー・・・難しいなぁ(苦笑))
31日は高校で試合をすることができました。
さすがにペルナの選手は一緒に行けませんでしたが、ここでは八風中の選手ががんばっていました。
1カテゴリー上の高校生相手に八風の選手は自信を持ってプレーしていたし、完全に崩すシーンがハーフに何回もあり、後半始まってすぐには身体も一回り大きな、ストッキングの色の違う上級生を2人引っ張り出すほどのプレーをしていました。
終了間際に失点してしまい、結局2−2の引き分けに終わり課題も見えましたが、その攻撃力は強烈な印象を与えました。
中学生が高校生とやるときに一番怖いのがケガ。
この日の高校生は非常にフェアーでその心配はなく、ここでも下のカテゴリーの選手が力を発揮することができる上のカテゴリ−の選手の“技術”を感じました。
今回も“夜の部”は熱かった!
なんでこんなにサッカーバカばっかりが集まるんかなぁって思うほどバカばっかです(笑)
結局“終わりのない旅”に出ているみたいな感じで話は尽きないし、答えはグランドにしかないし、指導者のポリシーは選手を観れば分かるし・・・
みんな出口のない洞穴の中で必死にもがいています!(笑)
今回もたくさんの刺激を選手・指導者からもらいました。今日からの指導に生かしながら選手と一緒に成長していきます!
Coachしみず