新年度

  • 2010年04月05日(月)

新しい年度が始まりました。

チームとしてうれしいことに転校等の理由で退部した2名を除いた全員が、新年度もペルナサッカークラブでサッカーを続けてくれることになりました。

すでに数名の新規入部の問い合わせもきており、早々に新しい仲間も増えそうな予感がしています。

できるだけ多くの仲間を増やして日本にサッカー文化を根付かせるために・・・

そして何よりサッカーを始めた子どもたちにサッカーの楽しさを伝えるために・・・

「子どもの本来持っているパワーを引き出す手助けをしたい」と指導者一同思っています。

保護者の皆様・選手のみんな、一年よろしくお願いします!

       Coachしみず

『プロ入り』のヒント

  • 2010年03月31日(水)

CSKAモスクワの日本代表MF本田圭祐選手が、『悪魔の左足』で日本人初となる欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL)8強入りを決めました。

前半39分先制点となるゴールのアシストを決めた本田選手は、追いつかれた後の後半10分、ゴール正面やや右・約30mのFKを『悪魔の左足』で蹴り、GKの手をはじきながらそのボールはゴールに吸い込まれ決勝点となりました。

大会が『欧州CL』に改編されてから、日本人選手が8強入りしたのはこれが初めてで、日本人選手が決勝トーナメントで得点するのも初めてという『初めて』づくしとなりましたが、本人は『何よりも自分のゴールで次に行けたことが選手として喜ばしい』と語り、『日本人初』には興味がないようです。

本田選手とともにガンバ大阪でジュニアユース時代を過ごしたG大阪の安田理大選手は、本田選手のことを『昔からメンタルだけは誰よりも強かった』と語りました。
中学時代からすごい負けず嫌いで、足が特別速くなかった本田選手は、50m走があると自分が勝つまで止めなかったようで、安田選手は『何回走らされたか分からん。腕相撲も腕が折れるかと思うくらいやった』と苦笑いしました。
北京五輪では、『ご飯の水の量が多い』と選手たちがぼやいていたら、『おれが言うてくる』と言って外国人シェフに英語で米の炊き方を言いに行ったり、仲間を連れてスウェーデンの女子代表を口説きに行ったりと、物怖じしない性格はピッチ上だけではなかったようです。

プロ入り当初から海外を意識して語学を習得したりと、決して努力を忘れない本田選手の姿に『プロになるため』のヒントが隠されているのかもしれません。

        Coachしみず

卒部

  • 2010年03月30日(火)

27・28日は恒例の『最後はペルナで!』でした。

6年生の最後の試合を例年同じ流れでやっているのですが、今年も『ペルナらしさ』で締めくくることができました。

27日はチンチンにやられました。
同じチームと28日の最後のゲームでやったのですが、『最後』ということで選手のモチベーションは上がっていて、やられはしましたがペルナらしさで崩せたところもあったし、しっかり『戦えて』いました。
前日は全然止めることができなかった守備陣が、タイトなマークで相手の攻撃を食い止めます。
攻撃は相手の大型守備陣にうちの小型攻撃陣(笑)がショートパスとドリブルで仕掛けます。

『うまなったなぁ』

毎年思いますが4月は『今年のチーム大丈夫かなぁ・・・』って感じですが、3月のこの時期には『今年もなんとかなったなぁ』って思います。

本当に選手たちはよくがんばりました。
決して高くない身体能力でゆっくりと、でもコツコツと確実に一段ずつですが階段を登ってきました。
その全てを28日の最後のゲームで魅せてくれました。
本当に選手たちには感謝です!

これからも中学生になっていろいろなことがあると思いますが、ペルナでやってきたことを忘れずに、いつまでも今のままの『サッカーバカ』でいてもらいたいと思います。

保護者の皆様には本当にお世話になりました。
お家の大切な『宝物』をお預かりしました。
選手たちの一番最初のサッカーの指導者として、少しでも何か役に立てれば・・・そんな思いで指導者一同努力をしてきました。
結局我々指導者が選手たちに教えてもらったことばかりでしたが・・・
本当にお世話になりました。
ありがとうございました。
またこの先、ペルナのジュニアユースに引き続き所属していただける選手・保護者の皆様は、これからもよろしくお願いします!!

Tudo de bom para voce!
Boa sorte!

      Coachしみず

ゆっくりコツコツ

  • 2010年03月24日(水)

20・21・22日と中学生の静岡遠征に帯同しました。

今現在ペルナのジュニアユースに所属している選手も多数いますし、元ペルナの選手が多く在籍するチームなので、よぉ〜く観てきました(笑)

Aチームはボールもしっかり保持できていたし、ゴール前も崩せていてよかったと思いましたが、最後の仕上げ『シュート』が雑だったり不正確だったり最終のコントロールがズレていてシュートできなかったりと『後一歩』でゴールにならない場面があり、課題がはっきり見えてきた感じがしました。

Bチームは1年生主体で中学からサッカーを始めた選手が、11人中5人というメンバー構成でしたが、これがなかなかいいんです!
『小学4年生?』って思うくらい小さい選手が4人いましたが、小さいなりのサッカーをしっかりやってるんです。
遠くへ蹴ることができないので選手同士の距離は近いですが、ショートパスをパンパンってつないでゆっくりですが確実にボールを進めていくんです。

『やるなぁ』

完全に『今できること』をやってました。
後はゆっくり確実につないでいってるボールを、ゴール前まで運びゴールの中に入れてくるだけ(笑)
こちらも課題がはっきりしました。

2日目の会場で三重の指導者に偶然会いました。
「最初どっちが八風か分からんかったけどすぐ分かりました。中学になってもペルナのスタイルは変わってませんね」
って言われてうれしく思いました。

これからもゆっくりコツコツやっていこうと改めて今回の遠征に帯同して思いました。

       Coachしみず

5・6年コーチ

  • 2010年03月23日(火)

21日は朝上小学校で4年生以下の試合でした。

久々のホームゲームでしたが、指導者の都合で外部コーチにお願いしてのゲームとなりました。
ただ外部コーチでは細かいところまで分からないので5・6年生にコーチを頼みました。

当日は試合がなかったにもかかわらず、数名5・6年の選手が行ってお手伝いをしてくれました。
4年生から幼稚園の選手の面倒をみることは結構大変だったんじゃないかな(笑)
下の選手に試合をさせながら自分たちも時間を見つけてはゲームを楽しんだようです。

外部コーチは下の子の面倒をしっかり見ている上級生に驚いていましたが、それよりももっと驚いたことがあったと言っていました。
それは、『そうじ』です。
試合日程が全て終わり後片づけになったらグランドにとんぼをかけて整備することはもちろん、全部のチームが着替えに使った玄関ポーチの掃き掃除とトイレ掃除を自分たちで始めたらしいのです。

『やるなぁ』

やっぱり指導者が頼りないと選手がしっかりするのでしょうか(笑)
大人でもついうっかり忘れてしまいそうなことを自分たちで気づいてできるなんて・・・
改めて子どもたちの持っているパワーというか、可能性の大きさを感じました。
本当にペルナの子どもたちと一緒にサッカーをやってきて良かったと思いました。毎回子どもたちに教えられることばかりです。

いよいよ月末の『Jogo com PERNA』がペルナでのジュニアサッカーの最終戦になります。この先まだまだサッカーを続けていく上で一つの通過点に過ぎませんが、一応の区切りになります。ピッチ内・外ともに最高のパフォーマンスを魅せてもらいたいと思っているし信じています。
めっちゃ楽しみです!

       Coachしみず

蹴球人

  • 2010年03月18日(木)

枯れた芝生 まばらな観客
強くしたい 世界と戦いたい・・・
サッカーを愛する人々の情熱と
1日1日の積み重ねが『J』を生み
W杯出場が当然の出来事になった
忘れていないか 感謝の心を
なくしていないか ギラギラした目を
2010年6月 南アフリカ
受け継がれてきた蹴球人たちの魂を胸に
闘え そして熱くなれ

元日本代表・ガンバ大阪の永島さん(現ニュースキャスター)が、日本サッカー界への思いを語ったものです。

197〜80年代に日本サッカーリーグ(JSL)でプレーした選手は、枯れた芝生にところどころ土が顔をのぞかせているピッチ・1000人にも満たない観客の前で必死にプレーしていました。
今のJリーグの2・3万人の観客など夢のまた夢で、応援に来てくれた家族や友人をスタンドで見つけることは簡単だったようです(苦笑)

日本で『フットボール』がまだメジャーになっていなかったころから、日本サッカー界のために多くの人たちが努力してくれたおかげで、今の日本代表やJリーグがあります。
当時は、午前中に仕事をして午後練習するのが当たり前で、生活はギリギリでしたが目はギラギラして強烈な個性派の集団でした。
そのころから比べると今は恵まれているぶん、熱い気持ちが薄れてきているんじゃないかなって思ったりもしますが・・・

G大阪の遠藤選手が故郷の鹿児島に里帰りし、母校鹿児島実高を訪問、全校生徒の前で挨拶しました。
その直前に恩師であるサッカー部総監督の松沢さんに『ネクタイを上までしっかりしめろ!』と叱られました。
遠藤選手は『(服装を)ちゃんとしていても直せって言われる。相変わらず厳しい』と苦笑い。
前夜に松沢総監督らと食事をし、地元名産の黒豚を振る舞われました。しかし、体脂肪が増えることを気にして野菜しか食べなかったそうです。ビールもコップに半分だけ。
総監督は『アイツも本当のプロになったんだな』と喜んだそうです。

そういえば、Jリーグが開幕して1・2年目のころに、永島さんと当時の日本代表の主将と一緒に食事をする機会がありましたが、永島さんも酒は口にしませんでした。その時『やっぱりプロやなぁ』って感じたんを思い出しました。(ちなみに主将さんはたばこも酒もやってましたが・・・苦笑)

昔の蹴球人たちは日本にフットボールというスポーツを『普及』させることに必死でしたが、今の蹴球人たちはその普及とともに『レベルアップ』に必死になっています。

岡田ジャパンの目標『W杯ベスト4』に少しでも近づけるよう、微力ながら我々も協力していきたいと思います。

       Coachしみず

残り2週間

  • 2010年03月16日(火)

13・14日は6年生の最後の遠征でした。

風邪が流行っていて8人が欠席、12人の参加というギリギリの状態でしたが、特に6年生は最後までがんばっていました。

中学校のグランドだったので大ゴール・大コート。
それに、やっぱり大阪の選手は身体能力が高い!
相変わらずペルナは狭いスペースで細かいサッカーをやって対抗しましたが、結局1点も取れず全て負けてしまいました(苦笑)
それでも、外から見ていて『ペルナらしさ』は十分出ていたし、細かいパスワークで相手を置き去りにする場面も何回かありました。
中学生になったら『蹴れる』距離が伸びるので、今狭いスペースでやっているパスワークを拡げることができれば・・・ ボールを支配する時間も増えるだろうし、後はゴール前の崩しの部分が上手くいけばいけるんじゃないかな・・・ ただ、もっとパスの精度であったり、コントロールの質やアイディアなど、やらなければならないこともたくさんあるので、この先もゆっくりやり続ける必要があると思います。

さぁ、6年は残り2週間になりました。
最後の最後にどんな『ペルナらしさ』を選手たちは見せてくれるでしょうか。
今から楽しみであるとともに、残り少ないことを寂しく思う今日この頃です。

      Coachしみず

卒業

  • 2010年03月12日(金)

3月9日、中学校の卒業式がおこなわれました。

サッカー部の選手も“晴れて”卒業していきました。
サッカー部の選手の多くはペルナ出身なので、長い人で9年間一緒にサッカーをやってきた仲間との別れは、少々寂しい気持ちになったことと思います。

本当にいろいろなことがあった学年でした。
幼稚園のころお兄ちゃんの練習や試合にひっついてきてボールを蹴っているちびっ子は、お父さんの後ろに隠れて照れ笑いを浮かべていました。
ペルナに入ってからは、あきらかに『でかい』ユニフォームを着て少し自慢げにグランドに出て行きました。
低・中学年のころは高学年の試合に出て、押されてこけて泣いて戻ってくることも一回や二回ではありませんでした。

『大きなったなぁ』

少年時代も中学になってからも、その選手らしく個性的にいつもがんばる選手たちばかりでした。
こちら側もいろいろ学ばせてもらったこともありました。選手・指導者ともに成長してきたと思います。

今まで一緒にやってきましたが、これからは別々の道に進んでいきます。
多くの選手は高校サッカーの道に進み、真剣勝負に挑みます。寮に入る選手もいます。それぞれの道で、その人なりのアプローチの仕方で、高校生活も精一杯がんばってもらいたいと思います。
そして、酒が呑める年齢になったころ、またみんなで集まってボールが蹴れたら・・・幸せなことと思います。

今年度からペルナのトップチームが正式に活動を始めます。
みんながペルナに戻ってこれる場所ができました。
9年間一緒にボールを追いかけてきました。
それぞれの場所で何年かサッカーをやって、いろいろな経験をしてきてください。
結婚するころか、子どもが生まれるころ、また一緒にボール蹴ろう!
楽しみにしています。
その時に『コーチも年取ったなぁ』って言われないように、トレーニングはかかさないつもりです(笑)
いつの日か、また一緒に・・・
Boa sorte!

       Coachしみず

6・7日

  • 2010年03月09日(火)

6・7日はU−12で滋賀遠征でした。

二日間ともあいにくの雨でしたが、6年生が少ない中選手たちはめっちゃがんばっていました。

この時期の雨は非常に寒いので、午前と午後でユニフォームを変えるなどの工夫をして対応しましたが、試合と試合の合間は『寒っ』って言いながら過ごしました。

幸い良いグランドだったので、相当雨は降りましたがグチャグチャにならず、各チームは個々の持ち味を存分に発揮できた楽しい二日間になりました。

我々指導者は、選手ががんばって自分たちの持っている技術を出し合ってやるゲームという名の『発表会』を観ることは楽しみの一つですが、もう一ついろいろな指導者と話をすることも大きな楽しみです。

今回はそこで『高校選び』についての話が出ました。
自分のチームでジュニアユースを持っているチームの指導者は、『高校に選手が入るまで』が自分たちの役割だと考えています。
もちろん高校に入ってからも見守ってはいきますが・・・

今まで見てきた選手が多いほど指導者も経験しています。
この日集まった指導者のチームからは毎年多くの『良い選手』が様々な高校へと進学していきます。
高校選びにはいろいろなポイントがありますが大きくは二つ。一つはサッカーの質で、もう一つは学力。

選手は一人一人顔が違うように違うプレースタイルを持っています。それと同じようにそれぞれの高校の指導者たちも自分の好きなサッカースタイルがあります。どんなに良い選手でもスタイルの合わないチームを選んでしまうと出場機会に恵まれないことがあります。やっぱり選手は試合に出て経験して成長していくので、「試合に出られない」ということは避けたいものです。そうすると高校選びの一つの大きなポイントとして『チームのスタイルが自分に合っているか』が大切になってきます。
いくつかの高校が候補として上がったら次は『学力』です。希望する高校に入ることのできる学力を、その選手が持っているかどうか・・・
どんなにその高校を望んでもあまりにもかけ離れた学力では、『どうしようもない』というのが現実です。少しの離れは努力でなんとかなりますが、大きな離れは・・・
やっぱり勉強は大切です。
学力が足りないために希望する高校に進学できないなんて寂しいことです。

スポーツが得意な子がいれば苦手な子もいます。それと同じように、勉強が得意な子もいれば苦手な子もいます。
自分の将来のために勉強で一番になれとは言いませんが、なんとか真ん中あたりでいられるように勉強する『クセ』みたいなものを付けさせるのも、我々少年の指導者の仕事ではないでしょうか。
例えばきらいなピーマンを食べるのは、サッカーでがんばるための強い身体を作るため、見たいテレビを見ないで早く寝るのは、サッカーで試合中ずーっと走り続けることのできる体力をつけるため、勉強するのは希望する高校・大学に入ってサッカーを続けるため・・・
そんな風に考えていろいろなことを努力できる選手になれるよう導いてあげられればって思います。

        Coachしみず

サッカーとメディア

  • 2010年03月05日(金)

今日は『サッカーとメディアの関係』について考えたいと思います。

スペインで4年メディアとして仕事をしている人が興味深い記事を書いていたので紹介します。

その人が『プラチナ世代』と呼ばれたU−17日本代表がビジャレアル国際大会に参加した際のインタビューでのことです。
大会2日目のレアル・マドリード対U−17日本代表の試合後、両チームの注目選手と監督に短くインタビューする機会がありました。

最初に話を聞いたのがレアル・マドリード。
事前に取材したい3選手をリクエストしていたため、監督がわざわざ連れてきてくれたそうです。
記者が顔と名前が一致しないのに気づくと、選手の名前・背番号・ポジションを教えてくれ、1人ずつ引き渡してくれる親切さ。
選手にマイクを向ける前には、監督が笑顔で「よろしく頼むよ」と声をかけてくれ、横で選手がどういう話しをするのか観察し、まだ取材慣れしていない選手が言葉に詰まったときには、リラックスさせるような冗談を横やりとして入れるなど気を遣ってくれたようです。

続いてU−17日本代表の取材に向かったこの記者は、取材を仕切るチームスタッフに「監督への質疑応答は3分以内でお願い」と少々高圧的な態度での先制パンチを食らいました。
次に話を聞きたい選手をリクエスト。
依頼した通りの選手をスタッフは連れて来てくれましたが、試合内容(2点を先制しながらも後半に2点入れられて引き分け)に不満だったのか、選手は終始ふて腐れた様子。
この記者にして「いままでスペインで多くの選手にインタビューしてきたが、これほど露骨に不機嫌な態度を見せられたのは初めて」と言わしめるような態度だったらしい。
まあ彼らはまだ17才。仕方ないか・・・と自分に言い聞かせながら「スペインでプレーしたい気持ちは?」という質問をしたら隣にいたスタッフに「すいません。その質問はなしで」とNGを出される始末。
インタビュー後、そのスタッフから「代表は、選手を借りている立場なのでああいう質問はまずいんです」と説明されたらしい・・・

この記者(日本人です)はスペインでの4年間、その場で質問を遮られたのはこの時が初めてで、ガードの固いメッシでさえインタビューが始まれば関係者や父親は「ご自由にどうぞ」の態度で質問にNGを出すことなどなかったそうです。

クラブと代表、違う立場でなかなか難しい問題もあると思いますが、確かに日本でサッカーがメディアに露出する機会は年々減っているのではないでしょうか。

選手側から聞く話によると、自分の伝えたいことが間違って報道されることが多いといいます。少々の違いならまだしも時には『正反対』なことも珍しくないようです。しかし、間違った報道をして損をするのはメディア側。メディアは選手の情報を欲してるし、選手もメディアに露出することで人気につながったりします。お互いが共存共栄していくことが大切で、両者が協力してサッカー界を盛り上げていかなければ、どんどん日本のサッカーは下降線をたどっていく一方です。

ゴルフの石川瞭君ではないですが、サッカー界にも救世主が現れて、毎日のようにメディアに露出し、サッカーに興味のない人にも興味を持ってもらえるようにならないと、プロを目指す子どもたちの夢を消してしまうことになりかねない状態です。

なんとかしなければならない今、先頭に立ってやるべき日本サッカー協会がこんなことでは・・・
がんばってほしいものです!

       Coachしみず