ダンゴサッカー

  • 2007年12月25日(火)

22・23日はU-10で名張へ遠征に出掛けました。
私は仕事の都合で二日目しか行けませんでしたが結構おもしろいゲームができていました。

1試合目は相手チームの棄権で不戦勝となったので紅白戦をおこないました。
「ペルナ朝上」対「ペルナ朝上以外」でやったのですが、これが大盛り上がり!
昔からペルナの紅白戦は異常なほど盛り上がるのですが今回もやってくれました。
以前は三重郡のリーグ戦でペルナ同士が当ることもありましたが、その時なんかは負けたチームの選手が泣きながらベンチに戻って来るくらい盛り上がってました(笑)

2・3試合目は予定通りのゲーム展開でした。試合中の多くの時間ボールを持っているのですが、いかんせん「ダンゴサッカー」なため「逆サイドへパス」→「ロングシュート」で失点。
試合には負けましたが選手・指導者共に楽しめた内容でした。

この2日間「ダンゴサッカー」を楽しんだU-10の選手たちももうすぐ5年生になります。少しずつダンゴサッカーから「サッカー」に変わっていきます。今まで「感覚」でやってきたものが「頭を使う」ものに変わっていきます。今の選手たちがどう変化していくか?楽しみなところです。
       Coachしみず

22日土曜日

  • 2007年12月22日(土)

今日(22日)と明日(23日)はU-10で名張に遠征です。

名張市内のチームが合同でおこなう「ウインターカップ」に参加させてもらいます。県外からもたくさんチームが来て、たいへん大きな大会で、選手たちも楽しみにしている大会です。

うちのチームはこの年代は、まだドリブルのみの「だんごサッカー」をやっています。試合になってパスを回されるとあっというまに失点。0-10なんて試合もめずらしくありません。
ペルナはこの年代の得点での勝負にはまったくこだわりません。しかし、局面での勝負にはこだわります。それが「内容の勝負」っていうことになるのですが、そこはゆずれません。
今日はひでコーチと赤松コーチが行ってくれているので、帰ってきてからゲーム内容を聞くのが楽しみです。
「内容はどうだったか?」
「練習してることはだせたか?」
そして何より「楽しめていたか?」

私はなぜこんな時間にコラムを書いているのか?そうです。今日は仕事です。チームは名張遠征、(私事ですが)長男は松阪で試合、二男は伊勢で合宿、私は仕事・・・たまりません・・・
       Coachしみず

小→中

  • 2007年12月21日(金)

毎週火曜日にジュニアユースとジュニアのU-11・12が、合同で練習するようになって9ヶ月が過ぎようとしていますが、やっと狙っていたことの1つが出てきました。

先日7対7のゲームをやったとき中学生の中に小学生を3人入れました。合同練習を始めたころから同じように少数小学生を入れていたのですが、最初は付いていくのにいっぱいいっぱいでボールを失ってばかりでした。それが最近では中学生を「ダシ」に使えるようになってきました。中学生にパスを出す「フリ」をして自分でドリブルしていけるようになってきたのです。
「1つ上のカテゴリーに混じっても“普通に”やれる選手になってもらいたい」という狙いの部分がやっと出てきました。

中学生になってすぐのころは小学生の体型だった1年生たちも、この時期になると「おっきなったなぁ」と思わず言ってしまうほどの変化を見せます。その中で普通にやれるようになってきたということは、小学生も進歩しているし何より中学校に上がる準備ができてきたということじゃないかなって思います。

きっちりしたジュニアユースを持っているクラブは、この時期になると小6はすでにジュニアユースでのトレーニングを始めます。ペルナのジュニアユースは週1回のスクールなのでそんなわけにはいきませんが、少しでもプラスになればと思って始めたことが、本当に少しですが形になってきたように感じています。

これからも、小学校から中学校に移行する段階が、スムーズにいくように工夫していきたいと思います。
       Coachしみず
PS 昨日このコラムでお伝えした「秋田選手現役復帰」について、今日の新聞で「やっぱりトルシエに断った」って書いてありました。残念です。

FC琉球

  • 2007年12月20日(木)

JFL(日本フットボールリーグ)に所属するFC琉球の総監督に、02年の日韓W杯で指揮をとった元日本代表監督のフィリップ・トルシエ氏が就任しました。

記者会見の席上でトルシエ氏は「私のキャリアを生かしてチームを完全なプロにし、エリートへの道に導きたい」と抱負を語りました。
総監督という立場から、試合の指揮を取るつもりはないようですが、トップチームの監督人事から少年の育成まであらゆる部分にタッチするようです。

FC琉球の社長は「3年以内にJ2、5年でJ1、そしてJ1に居続けられるチームにしたい」と語っていますが、その目玉として元日本代表の秋田豊選手を獲得しました。
秋田選手は先日このコラムでも紹介したように引退を表明していました。トルシエ氏はチームを強くさせるために、自身の考えを熟知し、高いプロ意識を持っているベテランが必要不可欠であると考え、共に02年W杯を戦った秋田選手に白羽の矢をたてました。秋田選手もトルシエ氏の情熱に心を動かされ、引退を撤回し快諾しました。
誰でも「君の力が必要だ。手を貸してくれ」と言われれば心が揺れますよね。

秋田選手は第二のサッカー人生として「沖縄のチームでプレーする」ことを選んだんですが、数年先は選手兼監督、もしくは監督という道を歩むかもしれません。

J1でもなくJ2でもないJFLのチームを選んだことは、彼にとって大きな冒険でありチャレンジでもあります。様々な経験を積んで人としてさらに大きく成長し、どこかのチームで監督をしている秋田選手を何年後かに見ることができれば、この決断も有意義なものとなることでしょう。
応援します!
     Coachしみず
PS トルシエ氏といえば通訳のダバティ氏が強烈でしたよね。明らかにトルシエ氏が言ってないことを、興奮して選手に言うような“熱い”通訳だったようです(笑)

中東の笛

  • 2007年12月19日(水)

ハンドボール界ではびっくりするようなことがおこっています。

男女の北京五輪予選を再開催する異例の決定を国際ハンドボール連盟が下しました。

原因は「中東の笛」と呼ばれる不可解な判定によるもので、日本・韓国は長年にわたって泣かされてきたもののようです。
疑惑の歴史は10年にもおよび02年のアジア大会男子では、決勝戦の後コートを警官隊が取り囲む大荒れの試合になったりとか、04年の男子アジア選手権準決勝では、日本が地元カタールを前半リードしたが、シリアの審判員がハーフタイムに関係者に拘束され、後半開始まで2時間半かかったりとか、女子では今年の北京五輪予選では、証拠隠滅のためか全ての試合でカメラ・ビデオの撮影が禁止され、映像の記録が一切ないとか。細かいものまでひっぱりだせばきりがないようです。

1度終わった試合が無効になる、やり直す、信じられないことですが現実に、しかも五輪予選でおこなわれるということはそれだけ「中東の笛」が重大な事件であることを物語っています。

以前このコラムでも書きましたが、サッカーにも多かれ少なかれそのようなことがあります。そしてそれが「ホームの有利さ」「アウェーの不利さ」の1つに繋がりますが、ここまでひどいことはないでしょう。

審判も試合を「裁く人」ではなく、一緒に試合を「運営し楽しむ人」になってはどうでしょう。
我々指導者は日頃から「審判・相手の選手に敬意を払おう」といってますが、審判も選手に「敬意」を払う必要があると思います。そして、審判が「そうしなければならなくなった」外部からの圧力が無くなることを心の底から願います。
        Coachしみず

秋田選手引退

  • 2007年12月18日(火)

元日本代表DFの秋田選手が今季限りでの引退を表明しました。

93年のJ発足時から鹿島などで活躍してきましたが、今季はJ2の京都での出場機会が激減し、京都移籍時に「年間48試合のうち24試合に出られなければやめる」と決めていたため引退を決意しました。

98年フランス大会・02年日韓大会と2度のW杯を経験し、J1・J2通算405試合に出場。気迫あふれるプレーとリーダーシップで「闘将」と呼ばれ現役生活は15年間という長い間でした。
毎年、100人以上の選手が“年俸ゼロ円提示”(戦力外通告)されるなか15年間もの長い間現役生活を続けられたのには理由があります。
J発足の93年に鹿島入りし、当時まだ現役だったサッカーの神様ジーコから多くのプロ魂を学びました。「いくらでもいけた」という酒を1滴も飲まず節制。まゆ毛がすり切れて薄くなるほどヘディングの練習をしたそうです。

この秋田選手、な・なんとうちの“チョロコーチ”の大学時代の後輩にあたります。チョロコーチの話によると当時からヘディングは彼の武器だったらしく、練習でGKが蹴ってくるパントキック(手で持って蹴るやつ)をヘディングでGKに返していたそうです。恐るべしゆっさん(チョロコーチはこう呼んでいたらしい)・・・

引退後は指導者を目指し「鹿島や代表で監督をやりたい」と話しているそうです。

毎年100人以上がクビを切られるなか、誰でもチームに残り、また他のチームに移って指導者になれる訳ではありません。チームに残れる人、残れない人、サッカー関係の仕事に就ける人、就けない人、理由はいろいろあるでしょうが最終的には「人間性」じゃないでしょうか?
会社(チーム)のトップとして引退する選手がいくら望んでも「人間性」に問題があれば再度“雇う”訳にはいかないでしょう。そう考えるとサッカーの技術を磨くことも大切ですが、それと同じくらい人間性を磨くことも大切だと思います。だって選手は引退してからの人生のほうが長いんだから・・・

秋田選手の第二のサッカー人生がすばらしいものになるよう、陰ながらチョロコーチと一緒に応援したいと思います。
         Coachしみず

VIVA!KAKA!

  • 2007年12月17日(月)

今世界で最も“旬”な選手はやっぱり「カカ(25)」でした!

クラブW杯決勝が16日横浜国際競技場でおこなわれ、欧州代表のACミランが南米代表のボカ・ジュニアーズを4-2で破り「トヨタカップ」時代から通算4回目の優勝を決めました。

カカは1得点2アシストの活躍をみせMVPに輝きました。これでカカは、欧州年間最優秀選手(バロンドール)・英ワールド・サッカー誌選定MVPと合わせてMVP三冠目の受賞となりました。

しかし、「カカはすごい!」ですね。当然ボカは一番カカを警戒していたでしょうし、マークもきつかったはず。その中であれだけの仕事をするとは・・・

最近までは「ホナウジーニョ(ロナウジーニョ)」だったのにすぐにまた別のスーパースターが「生えて」くる。本当にブラジルって国はどうなっているんでしょう。日本との違いを見せつけられます。

ブラジル人ってどうして本名よりあだ名で呼ぶのが得意なんでしょう?「ジーコ」(痩せっぽち)・「ホナウジーニョ」(小さいホナウド)・「カカ」もあだ名です。
本名は「リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチ」といいますが、現在ACミランにDFとして所属する弟ジガン(22)が幼かったころ、「リカルド」と呼べず、「カカ」と呼んだことから愛称になったようです。そのあだ名を現在まで選手名として使用しているのもすごいですよね。

これからもブラジルからは「枯れる」ことなくスーパースターが生まれてくるんでしょうね。
日本からは文化・習慣・教育など様々な部分を見直さないと「スーパースター」は生まれてこないでしょうね。
その分「平均点」は高いんでしょうけど・・・
        Coachしみず

U-11のリーグ戦

  • 2007年12月17日(月)

こんばんは。ヒデコーチです。
12/15の土曜日は東橋北小学校にてU-11の試合がありました。5年生も残り3ヶ月でU-12(六年生)になります。U-12になるとサッカーのスタイルも個→組織へシフトします。この時期はその為のいわば準備期間です。組織とは簡単に言うとパスを使ったサッカーです。
パスの出し手と受け手、複数の仲間とのボールのやりとりが必要になる中、清水コーチが練習で選手に教えている『出し手の優先順位』や『受け手の動き』を試合前に選手へ伝え、試合に臨みました。試合中の彼らには失敗はするものの(勿論OK)それをやろうとする意識がはっきりと出ていました。(私としてはこの時点でニヤリです。)二試合ありましたが、うちの得点は相手の守りを崩し切ったペルナこだわりのGOALでした。得点は二試合で4得点でしたがGOALのチャンスはその何倍あったことか。(うーん、あともう少しっていったところです)試合には負けたけど、満足のいく試合内容でした。今後、彼らがU-12になりペルナのサッカーを実践していく為に必要なことは『周りを見る』『ボールを保持しているポジションで第一にすべき事を理解する』と言ったところでしょうか。その為に試合中(ON THE BALL、OFF THE BALLのどちらの状況でも)は常に自分が何をしなければいけないのか?頭を使ってサッカーをする事が必要になると思います。

理想の選手像

  • 2007年12月15日(土)

先日整体に行ったのですがそこの先生がユニークな人で、診察中おもしろい話を聞くことができました。

サッカーに関してはシロウト(失礼!)ですが職業柄様々なスポーツを観ることが好きなようで、サッカーのこともいろいろと知っているようでした。
興味深かったのは日本人のサッカー選手は「もっと走らなくてはいけない」と言っていたことです。
日本人が世界の強豪と互角に戦うためには、相手が後半疲れてきてからどれだけがんばれるかがキーだというのです。
先生曰く「日本が世界のトップレベルでいられるスポーツはマラソンと柔道位でしょ。マラソンのようにスタミナが必要とされるスポーツが日本人は得意で、瞬発力なんかでは外国人には絶対勝てない。だからもっと走る力を付けなければいけない。柔道は外国の選手に比べ日本の選手は相当多い量の練習をしている。でも外国人が日本人と同じ練習をしたらどうなるか分からない」と。
なるほどと思いましたね。

しかし、我々指導者は「技術も世界のトップレベルに近づけたい」という願いがあります。将来は日本人のファンタジスタがピッチ内を駆け巡る、そんな姿を夢見ています。
この整体の先生と我々指導者の考えが一緒になると、最近仲間の指導者とよく話している「ハードワークのできるテクニシャン」ということになるんじゃないでしょうか。

来年のペルナッサカークラブのキーワードはこの「ハードワークのできるテクニシャン」にしよっと!
        Coachしみず

世界トップ

  • 2007年12月14日(金)

13日のクラブW杯準決勝で、欧州チャンピオンのACミランがアジアチャンピオンの浦和レッズを1-0で破り決勝進出を決めました。

チームの練習があったので後半15分からのテレビ観戦となりましたが、直後の後半23分、左サイドをドリブルで突破したMFカカが、センターで待つMFセードルフにラストパス。これがピンポイントのパスでセードルフが落ち着いて左足で決めました。セードルフも簡単なシュートではなかったように思いましたが、正確に確実にゴールをゲットしました。
ミランは1点先取した後、イタリア伝統の「カテナチオ(ゴールに鍵をかけるの意味)」で浦和に得点を与えません。イタリアで最も評価の高い「1-0」という結果になりました。

後半しか観ていないのですが「遠いなぁ」って感じでした。何が遠いかっていうと「ゴールが」「ミランの背中が」「世界のトップと日本のトップとの差が」遠いように思いました。
先制点を与えてからの浦和はまったく「ゴールのにおい」がしませんでした。点差以上に実力の差はあったでしょうし、恐らく実際戦っていた浦和の選手が一番「遠いな」って感じていたと思います。
「パスの質」「コントロールの質」「フィジカル」全ての面で浦和は劣っていたでしょう。それをカバーするために「気合い」で望んだため前半「がんばりすぎ」てしまいました。そのツケが後半に回ってきて前半に比べると足が止まっていました。

我々指導者は、この世界との差を謙虚に受け止め少しでも縮めるために「今何を少年にしなければならないか?」を常に考えながら指導にあたらなくては、いつまでたっても世界とは戦えない。
改めてそう思ったクラブW杯での日本のクラブの世界への初挑戦でした。
       Coachしみず