W杯予選

  • 2008年10月17日(金)

15日の木曜日に2010年南アフリカW杯アジア最終予選のウズベキスタン戦が、ホームの日本埼玉スタジアムでおこなわれました。

結果は1ー1の引き分けでホームで勝ち点3を奪いたかった日本にとっては痛い結果となりました。

当日は練習日だったのでリアルタイムで試合を観ることはできませんでしたが、失点はミスからだったようです。
得点は流れからのゴールで、勝ち越し点を狙って後半攻め続けましたが、ウズベキスタンの守備を再度崩すことはできませんでした。

マスコミの報道は
「勝たなければいけない試合を勝ちきれなかった」とか
「岡田監督解任はない」とか
「W杯出場は大丈夫か?」みたいに悲観的なものが多く、日本は3大会連続W杯出場を果たしているので「当然出場」という国内の風潮がありますが、予選を突破してのW杯出場は簡単ではありません。
2002年の日韓W杯で優勝したブラジルでさえ、その時の南米予選では最後の最後で本戦出場を決めたほどでした。

日本も最終予選の2戦目で引き分けたくらいで、ガタガタ言わずに最後まで見守りましょう。
きっとサッカーファンを南アフリカW杯に連れて行ってくれますよ。

それより我々指導者は、毎回指摘される「得点力不足」「センターフォワード不在」の解消に真剣に取り組まなければなりません。

      Coachしみず           

パスをつないでの攻撃

  • 2008年10月13日(月)

11・12日と普段からお世話になっているチームの招待試合にU-12で行ってきました。

県内外から16チームが集まり、1日目は4チーム4ブロックのリーグ戦で予選をおこない、2日目も同じように各ブロックの同順位同士で4チーム4ブロックのリーグ戦で順位を決めました。

選手たちは初めてのチームとの対戦で多くのことを経験したようでした。

結構パスがつながるようになってきたのですが、少しのズレや速い相手にあわててしまったり、ゴールを奪うための効果的なプレーができなかったり、それが正確でなかったり・・・
もう少し精度を上げてゴール前でアイデアがでてくるようになれば、おもしろくなってくると思います。

最後の試合は、勝てば「3位リーグの優勝」という試合でしたが、前半に6失点し“へこんで”ベンチに帰ってきました(やっぱり子どもたちは優勝してトロフィーが欲しかったようです(苦笑))
失点は大きく蹴られて、そこに能力の高い選手に走り込まれシュートを決められたパターンや、DFラインでボールを奪われての失点だったので、ハーフタイムに

「どうしてDFからパスをつないで攻撃しなければならないか?」

を少しだけ説明しました。
選手たちは、それを理解して後半のピッチに出て行き、後半は無失点で1ゴール。
結果的には1-6の完敗でしたが、試合終了後の選手たちの顔には少し自信が戻ってきているようでした。

その後のミーティングでゆっくりハーフタイムの話をし、

「だから失敗しても小学生の今、パスをしっかり回して攻撃しなければならない」

ことを説明し、失点を恐れてはいけないことを伝えました。
ハーフタイムには、時間も少なく理解しにくかった部分も選手に伝わったようで、選手たちはトロフィーを手にすることはできませんでいたが、もっと大切なものを手に入れることができたと思いました。

相変わらずなかなか勝てませんが、ゆっくりしかし確実に階段をのぼって将来につなげていきたい。
そのために指導者と保護者が力を合わせて「我慢すること」をやっていかなければいけませんね(笑)

      Coachしみず

刺激の方法

  • 2008年10月08日(水)

7日火曜日のU-11・12・Jr.Yの練習に、元Lリーグ監督の昔からの友人に来てもらいました。

本人はLリーグの監督を辞めてから半年程のブランクがあったことと、少年・中学生を指導した経験がなかったことで自信なさげでしたが、いざ始まると「なるほど」と思わされることも多く、選手だけではなく指導者も勉強になったトレーニングでした。

他の指導者に指導してもらう機会の多い選手は、特に問題ありませんでしたが、ほとんどの選手は普段他の指導者に指導されてないので、最初は戸惑いがあったようです。
まぁそんな「借りてきたネコ」状態が長く続くはずもなく、最後には一人一人が「ありがとうございました」とペルナ流の挨拶を元気にしていました。

これからも様々な方法で選手に刺激を与え、サッカー選手としてはもちろん人間としての成長の手伝いをし続けたいと思います。

     Coachしみず

ちびっ子のチャレンジ

  • 2008年10月06日(月)

4・5日は久しぶりのU-8・9の練習試合でした。

4日は桑名での練習試合でしたが、1年生も参加してのゲームでした。
ボールが動くたびに「わー」って感じで、ちびっ子の固まりが動いていくのを見ていて、ほのぼのした気持ちになりました。

5日は2・3・5・6年生で滋賀遠征に出掛けましたが、2年生にとっては初めてのバスに乗った遠征で、選手・保護者共にドッキドキだったようです。
最初は緊張気味でバスに乗っていましたが、会場に到着するころはすっかりリラックスして、大きな口を開け寝ていました(笑)
肝心のゲームのほうは、組み合わせ関係上5年生との対戦もありましたが、ひるむことなく大きい相手に向かっていきチャレンジしていました。その姿勢は頼もしい限りでした。

低学年の選手はこれからたくさんゲームを経験して、大きく成長していってもらいたいものです。

       Coachしみず

指導者の成長

  • 2008年10月05日(日)

5日は滋賀遠征でした。

U-12とU-9のゲームでしたが、「チンチン」にやられました。

足元のしっかりしたチームばかりで、いろいろなことを勉強させてもらいました。

全ての指導者は、独特な感覚・指導論を持ちながら、しかし様々な悩みや迷いを持ち、日々試行錯誤を繰り返している・・・そんな話を試合の合間や試合を見ながらして盛り上がりました。

悩みや迷いを持つということは、指導が「もっと」を求めている証拠で、指導者として成長の途中であると言えるでしょう。

様々な成功と失敗を繰り返し、指導者として成長していくということはとても重要なことで、指導者が悩み考えた結果はチームのプラスになることは間違いありません。

選手と共に指導者も考え工夫しましょう。ただし、それは大人のエゴのためではなく、選手の将来をそれぞれに見据えた末であることが大前提ですが・・・

       Coachしみず

GKのキック

  • 2008年10月01日(水)

GKがボールを取ったら大きく蹴る。
少年サッカーでよく見られる光景です。

相手のシュートやスルーパスを味方GKがキャッチ。

「上がれー」

キーパーの声を合図に全員一斉に攻撃方向に走り出します。そこに向けてロングキック!
8人制のように小さめなコートの場合、相手チームのGKに直接渡ってしまうことさえあります。

なんで蹴るんでしょうねぇ(苦笑)
前線にDFの人数が少なく、カウンターを狙える状況ならアリでしょう。しかしそんな状況って1試合に何回もないはずです。しかしキーパーが蹴るのは毎回です。

意図はおそらく大きく蹴ることによって陣地を挽回して、自ゴールからボールを遠ざける。結局リスクを負わないためにやっていることでしょう。
せっかくボールを奪ってこれから攻撃という状況で、わざわざ大きく蹴ってどっちのボールか分からないようにしてしまう。
挙げ句の果てに「セカンド」と言ってどこに来るかわからないボールを奪い合う。
さっきまで味方ボールだったのに自らイーブンにしてしまう。
おかしいと思いませんか?
確かに実際最終ラインでボールを持っていると、取られたときのリスクは大きく、失点につながることも少なくありません。しかし、育成年代の選手はリスクを負ってチャレンジしないとうまくなりません。選手は失敗を経験して成長していく、ということを知らない指導者はいないはずです。
少年年代から失敗を繰り返し最終ラインでのビルドアップ(パスをしっかりつなぎながら攻撃すること)をやってきた選手と、ノーリスクでセーフティを繰り返してきた選手が、成長して大人になったら大きな差が生まれるはずです。

勝利することも大切かもしれませんが、育成年代の選手を預かっている我々指導者は、選手の将来をしっかり見据えた指導をしていかなければいけません。

       Coachしみず

サッカー界のドラフト制度

  • 2008年09月27日(土)

女子サッカーの北京五輪で、なでしこジャパンのエースとして史上最高の4位に貢献した読売ペレーザの沢穂希選手が、米国プロリーグの海外選手指名ドラフトでワシントン・フリーダムから1巡目で指名されました。

沢選手の他にも3人の選手が指名されましたが、運営が不透明なだけに選手達は「うれしいけど条件次第」と少々困惑しているようです。

米国の女子サッカーのプロリーグは、01年に8チームで発足。しかし、03年にスポンサーが撤退しリーグを休止。
今回は男子のプロリーグの支援のもと、6年ぶりに来年4月から復活することが決定しました。

沢選手は03年にこの米国リーグに所属していましたが、休止したため日本の日テレに復活した経緯があります。
本人は「またチャレンジしたい気持ちはある」と語っており米国再挑戦の意欲はもっているようですが、現状はわからないことだらけで困惑しているようです。

米国の女子サッカーはレベルが高いので、チャンスがあればチャレンジすることはいいことだと思いますが、今の米国の経済状態や一度失敗しているリーグが成功するかどうかなど、不安一杯というのが正直なところだと思います。

サッカー界が盛り上がるためにも女子が活躍することは大歓迎です。
よく見極めてがんばってもらいたいものです。

しかし、サッカー界でドラフト制度が存在するのは米国だけといいますが、日本では馴染みがないのでなんか変な感じがしますねぇ(笑)

       Coachしみず

個性のない選手達

  • 2008年09月25日(木)

海外のクラブチームの育成指導者が、日本の高校生のトップレベルの大会の準決勝・決勝を観戦した感想をある雑誌にのせてました。

そこには、簡単に説明すると
「ボールをコントロールすることや、パスを出したりするテクニックのレベルは高いが、そこに怖さは感じない」
つまり、パスは上手く回るけどゴールに直結していない、ということで普段から私が感じていることと同じでした。

結局「勝利至上主義」な日本のサッカーに問題があると思います。
ボールを持ったら仕掛ける。
成功すれば評価されますが、失敗すると「無謀な選手」と評価され「周りが観えてない」と言われます。
高いレベルのゲームでそう簡単に突破できるはずもなく、ボールを失うことも育成年代ではある意味仕方ないと思うし、チャレンジと失敗を繰り返すことで技術は上がるし学習していくと思います。
当然、ボールを失う=失点→敗戦となるので、ボールを失うことは決して良いことではありませんが、敗戦を恐れてチャレンジを躊躇するようでは成長はないと思います。

指導者は口では「失敗してもいいのでドンドンチャレンジしよう」と言いますが、実際失敗する選手の評価が下がるようでは、セーフティにボールを回す選手ばかりになってしまいます。だから日本の選手は同じような選手ばかりで、個性がないって言われるんでしょうね。指導者はもっと我慢して「敗戦」することもしなければいけません。

我々指導者は、選手にもっとチャレンジさせて失敗させて、その失敗を分析して成功の確率を上げてやる作業を、やらなければならないのではないでしょうか?
リスクを負わなければ、成功や成長は望めないんじゃないでしょうか?

       Coachしみず

誇らしい!

  • 2008年09月22日(月)

20・21日と4年生の大会でした。

うちのチームはこの年代はまだおもいっきり「だんごサッカー」です。
キーパーを含めた全員がボールに集まって人間の固まりがボールと一緒に動きます。

この「だんごサッカー」には賛否両論あって、低年令時のだんごサッカーは大切だという理論と、ヨーロッパでは幼稚園からパスを回すので広がるべきだという二通りに別れます。
どちらがあってるかは一概には言えませんが、どちらを選択するのも、またどの学年からだんごサッカーを止めるのかも指導者の考え方一つで、それがチームカラーだと思います。

ペルナでは4年生までの間は、ドリブルのみなので当然だんごサッカーになります。
二日間ゲームをしたチームのほとんどは、4年生ではだんごサッカーを採用していないので、黄色の固まりがボールを運んで行っても、ボールを奪われてパスを回されてしまいます。そうするとゴールキーパーも固まりの中に入っているので、誰もいない無人のゴールに得点を許してしまいます。
そのため試合には負けてしまいますが、それは「だんごサッカーの宿命」だと思っています。

点を取られてもあきらめず口を尖らせて「なんかやったろ!」って顔して一人でドリブルして行く。
そして時には最後まで行ききってゴールを決めてガッツポーズ!

うちの選手の気合いと楽しそうな顔に感動したとともに、ちょつぴり誇らしかった二日間でした。

        Coachしみず

「調教」「麻薬」「勝利」

  • 2008年09月18日(木)

ある日、私の携帯のメールに「読んでください。どう思います?」という題の文章が仲良しの指導者から届きました。
全文掲載させてもらいます。


子供のプレーの多くが監督・コーチなど大人に指示されたものであるなら、それを忠実に実行することは自己表現とは呼べません。子供は大人の身代わりになってフィールドに立ち、大人の考えたことを再現する操り人形にすぎないのです。私は、このように子供が自らの判断を持たず、大人の言うなりにプレーすることを、「調教」と呼んでいます。「調教」という言葉で思い出すのはサーカスの熊です。熊は客を楽しませようと自分なりに工夫したり、よりよい演技をしようという向上心を持つことはありません。熊は毎日、強制的に調教された動きを反復することしかできません。

繰り返し反復して訓練されたことを表現するという意味では、調教された動物の動きとスポーツのプレーは表面上は似ています。しかし、決定的な違いは、スポーツではプレーする本人が自ら考え、工夫するということです。それは、人間にしかできないことです。だからこそ、人間だけが、体の動きを「スポーツ」という形にして楽しむことができるのです。言い換えるなら、子供に動物を調教するようにスポーツをさせるなら、それはとても非人間的な行為であるということもできます。実際、大人に言われるがままにプレーすることは、子供にとって楽しいどころか、むしろ苦痛であるはずです。しかし、その苦痛をまぎらわせる「麻薬」があります。それが「勝利」なのです。

どんなにプレーそのものがつまらなくても、あるいは自分の思いどうりにプレーできなくても、最終的にチームが勝利し、自分が勝利者の一員になるという瞬間があると、苦痛は忘れてしまいます。特に少年時代は、まだスポーツプレーの奥深さを知るには経験不足で、自分が工夫できた喜びや、技術、戦術を駆使できた喜びといった、高度な充実感を得ることはできません。そのため、少年たちの喜びの比重は、最も身近で簡単な「勝利」に傾くことになります。自分やチームのプレーの内容を省みるよりも、「勝つか負けるか」という、最も単純な部分に関心が集まるのです。子供の中では、勝つことこそが全てなのです。勝利するのであれば、あえて「つまらない」ことにも耐えていけるようになります。

こうして、ただの勝利という麻薬に溺れて「調教」されることを受け入れていくと、やがてその子供はスポーツで最も重要な「自律」の能力、つまり自ら考え工夫し、自分をコントロールしていく能力を弱めてしまうことになります。指示に対しては忠実に遂行できるものの、自分の判断を迫られるような局面になると応用力が発揮できない人間になってしまいます。集団のなかの「駒」として機能することはできても、「個」としての存在感が示せない人間になってしまいます。それは、長じて成熟した大人のスポーツを行うようになったときに、最も役に立たない選手として認識される姿なのです。

子供にプレーを判断させながらチームをつくるよりも「調教」した方が、少年スポーツでは間違いなく勝利には近いでしょう。また、子供自身も勝利することで不満の多くを昇華させてしまいます。ですから、少年時代という短い期間だけを切り取るなら、たとえ「調教」されるような環境であっても、チームが勝ってさえいれば楽しく満足したスポーツライフと感じられるかもしれません。しかし、そうやって「調教」された子供は、人間として、スポーツマンとして、最も大切なものを置き忘れて育ってしまうのです。


-スポーツは「良い子」を育てるか、永井洋一、生活人新書-


選手に意思を持たせずに、決められたことを実行させることは、確かに「調教」という言葉にあてはまるのかもしれません。
しかし、自由奔放にプレーさせる「放任」という言葉も指導者として、「指導」することを放棄しているとしか思えません。
「放任」と「指導」はまったく違います。
「調教」ではありませんが、ある程度「やり方」を教えることは指導上必要なことだと思います。まったくそれをせずに「自由にプレーしよう」と言ったら、それは「放任」になると思います。
いくつかの「やり方」を選手に提案した上で、その中から何を選ぶのか?を選手に任せることが「指導」で、それを指導者が決めてしまうと「調教」になるんじゃないかって思います。

少年の指導者にとって最も大切なことって何でした?
何より子どもたちに「サッカー大好き!」って気持ちを植え付けることじゃないですかね?
どんなときも、それさえ忘れなければ指導者って間違えることはないと思うんですけどねぇ・・・

       Coachしみず