今日は、学年をごちゃ混ぜにして活動する訳についてお話します。
ペルナでは、練習や試合のときに1つの学年で活動することはありません。
少なくても2学年、多いときは中3から幼稚園まで、一緒に練習することもあります。
雨でグランドが使えずやむを得ない場合もありますが、意図して多学年で活動するようにしています。
それはなぜか?
上の学年も、下の学年も、圧倒的にメリットがあるからです。
下の学年の選手は、明らかに自分たちより大きく・強い相手に、立ち向かっていくことになります。
もちろん、簡単にやっつけられませんから、自然と工夫したり、多人数で戦いを挑んだりして、何とかして『やっつけよう!』としますし、年上相手にプレーしていると、いつの間にか技術やアイデアが身についてきます。
自分より上手い選手と普通にプレーしていれば、自然と上手くなるのは当たり前ですよね。
逆に年上の選手は、同学年とやっているときには気がつかないことに気づきます。
普段は少々パスがズレても通ってしまうのが、ちびっ子相手では通らない。
パスの精度を上げる必要がありますね。
ルールややり方も分かりやすく説明しないと理解できない。
これは、自分がルールややり方・技術をしっかり理解していないと、人に特に小さい子に伝えられないということです。
インプットしたものをアウトプットして、始めて自分のモノになると普段から言っていますので、そこの部分のいい練習になる。
何より、末っ子で下の子の面倒を見るようなタイプの子ではないのに(失礼・笑)、意外やすごく面倒見が良かったりして・・・(笑)
下の子の面倒を見ていると、人に対して『優しく』なれますよね。
これが一番かな。
同じ学校の選手も多いですから、ペルナで縦の関係を作っておけば、学校生活でもプラスになるんじゃないかなって思ってます。
多学年であったり、同じ位の学年であったり、様々な環境をバランス良く提供し、サッカー面でも精神面でも、ペルナで成長できたらいいなっていつも思っています。
これが学年ごちゃ混ぜでやる理由です。
COACHしみず
8日(土)に中体連の予選がありました。
今まで中体連というと、中学校の部活のチームが、地区予選から全国大会までを戦うレギュレーションとなっていましたが、今年から変更になりペルナも出場することになりました。
八風中も以前には、東海大会3回、県大会5回出場経験のある名門校です(笑)
今中学生でサッカーをしている選手は、
@中体連所属(中学校の部活)
Aクラブ連盟所属(Jリーグクラブの下部組織など)
Bその他クラブ所属(@Aどちらにも所属していない)
C無所属に分類されます。
最初にも説明しましたが、今まで中体連は中学校の部活のみの大会でした。
そこに、今年から『その他クラブ』の出場が認められるようになりました。
恐らく、中学校の部活の地域移行の関係と思われます。
そんな理由から、その他クラブ所属のペルナも中体連の大会に出場できることになり、その最初の予選が8日にありました。
参加クラブは4チーム。
4チーム中1位になれば県大会出場です。
通常中学3年生は、この夏の中体連の大会が終わると引退になります。
ペルナの3年もこの大会で公式戦の出場はなくなります。
ただ、ペルナに『引退』はないので、『中体連』に全然こだわりはなく、今回も『いつも通り』にプレーしました。
結果は残念な結果に終わりましたが、得るものはたくさんありました。
ペルナにとって、『負けたら終わり』の公式戦に出場するのは15年ぶりのことでした。
我々指導者は『いつも通り』を努めましたが、選手たちはそうではなく、明らかに緊張している様子。
硬かったですねぇ〜(笑)
いつも通りのプレーとは程遠く、後半になってやっと普段通りになったかな。
本当に選手・指導者ともにいい勉強になりました。
特に私は普段口にしている『メンタルトレーニング』について、選手たちにとっての『本当のメンタルトレーニングとは何か』が少し分かったような気がしました。
試合終了後、努めていつも通りにしていましたが、選手の1人が頭からTシャツをかぶって動けない姿を目にして、思わずグッときてしまいました。
その涙は本気だった証です。
その選手には、この大会に秘めた(そんなタイプの選手です)思いがあったのでしょう。
でもね、大切なのはここからなんだよ。
この中体連でサッカー辞めるんなら、落ち込み続ければいい。
でも、この選手にとって、中体連は目標ではあったかもしれないが、夢ではなかったはず。
それなら、酷なようですが、終わってすぐからやらなければならないことがある。
そのことが、この選手は分かっているようでした。
次の日のパーソナルトレーニングはもちろん、自由なゲームにも参加していました。
OB浅野拓磨を見ていれば分かります。
人生いろいろなことがあります。
どちらかと言えば上手くいかないことのほうが多いです。
だからこそ、どんなことが起こった後も、変わらず淡々と自分がやるべきことをやり続ける。
それこそが本当に大切なことで、できる人が強いメンタルの持ち主と言えるでしょう。
今回、残念な結果に終わりましたが、これからもペルナらしさを失わず、夢の実現のためともに努力を続けていこう。
君の涙を決して無駄にはしないから・・
COACHしみず
先日少しお話した『宿題しないと練習行かせないよ』の件について、お話したいと思います。
大人がよく使う『伝家の宝刀』ですよね。
私はまったく意味がないと思っています。
意味がないというより、親子関係にマイナスをもたらすと考えています。
なぜなら、『宿題をする』ことと、『練習に行く』ことは、まったく関係がないからです。
これが、『練習の準備をする』ことと、『練習に行く』ことなら、関連性があるので、まだいいかと思いますが・・・
練習に行かなければ宿題するようになりますか?
練習の時間を宿題の時間に充てるというのなら、宿題の時間を練習の時間以外で作ればいい。
それは、曜日によってや、宿題の量、友達と遊ぶ約束の有無などによって、いつ宿題の時間が取れるかはわからないと思いますが、3・4年生になれば学校帰ってきてから寝るまでの自分の時間をマネジメントする、そんなことに親子でチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
最初から上手くはいかないのが当たり前。
『やり始め』ないと『できる』ようになりませんよ。
では、そもそも宿題はなぜしなければならないのでしょう?
なぜ勉強はしなければならないのでしょう?
親に嫌なこと(宿題)を強要されて、好きなこと(サッカー)を取り上げられる。
親子の関係はマイナスになりませんか?
『なぜ勉強は必要か?』そこを整理して、子どもと話ししなければ、根本的な解決にはなりません。
私は、勉強は、『することによって先の選択肢が広がる』から、したほうがいいと思っています。
高校をAからCのランクに分けたとします。
入試時に、Aランクの成績の生徒は、AはもちろんB・Cランクの高校に行くこともできますが、Cランクの成績の生徒は、Cランクの高校にしか行けません。
自分の可能性が広がるということです。
『そうならないために今から勉強しとかなあかんよ』って、ことあるごとに言ってはいますが・・・
なぜ勉強しなければならないか?どうして宿題は必要か?だから、いつ宿題をするか?そんなことを子どもなりに理解し、自発的に勉強に取り組むようになるように、我々大人は工夫したり、環境を作ったり、時には待ったりすることが必要なようです。
あくまでも私個人の意見ですが、宿題って必要ないような気がします。
自分の自由な時間を『宿題』という『強制』アイテムで縛られる。
それって子どもの自主性を奪うことになりませんかね?
時間を奪い、自主性を奪い、子どもの無限の可能性を狭めてあるような気がします。
勉強って本来、強制されてするもんじゃないですよね(笑)
サッカーも一緒ですが(笑)
とにかく、『宿題やらない=練習行かせない』と短絡的に考えるのではなく、『勉強をする』ということについて、根本的な解決を目指した方が、間違いなく子どもの将来のためになりますよ。
COACHしみず