ペルナでは『バツゲーム』はありません。
例えば、『負けたらグランド5周』とか、『シュート外したら交代』とかは全くありません。
以前、ゲームに出る順番をリフティングで決めるお話しをしました。
制限時間内でできたリフティングの回数を競い、多い回数の選手から1番2番と番号をつけていきます。
その番号がゲームに出場する番号です。
1試合目の前半は1〜8、後半は9〜5(当日参加11人の場合)、2試合目の前半は6〜2、後半は3〜10、3試合目の前半は11〜7、後半は8〜4となります。
そうすると、1〜4まではハーフを5本、5〜11はハーフを4本となります。
うまく割り切れないのでいつもこんな感じですが(これが以前紹介したゲーム出場本数の差は最大『1』ということです)、ペルナでは5〜11が1本少ないと解釈するのではなく、1〜4が1本多く出れると解釈しています。
それは、5〜11がリフティングができなかったので1本少ないのではなく、1〜4がリフティングをがんばったので1本多く出場できるということで、結果的には同じ意味ですが、前者は『バツ』的な要素が強く、どちらがポジティブに取り組めるかは明らかです。
ペルナでは『努力した者が得をする』システムです(笑)
私が指導者をやって15年、非常に気になっていることの一つに『○○できたら○○買ってあげる』というのがあります。
よく保護者の方が子どもに使う『手』です。
例えば、『点取ったらボール買ってあげる』とか、『勝ったらゲームソフト買ってあげる』とかで、よく似たものに、『宿題しなかったら練習行かせない』などがあります。
ゲームで活躍したら何かを買ってあげることを約束して、子どものモチベーションを上げる作戦ですが、これは一時的に効果は発揮されますが、長い目で見ると決してプラスにはなりません。
子どもに『サッカーが好きになってもらいたい』とか、『サッカーが上手くなってもらいたい』という気持ちの表れであることは理解できますが、この作戦で子どもが満たされるのは『物的欲求』だけで、サッカーには全く関係がありません。
『宿題しなかったら練習行かせない』という作戦を使って、自発的に宿題をするようになった例を私は見たことがありません。
なぜなら、『宿題をする』ということと、『練習に行く』ということは全くの別物だから。
保護者は、子どもの好きなものと引き換えにすれば、嫌なこともやるだろうと思うかもしれませんが、これも『やらされているだけ』で、子どもにとってサッカーがそれほど重要じゃなくなったとき(他に興味を持ち始めたとき)はなんの意味も持ちません。
また次に興味のあるものを取り上げますか?
宿題とサッカーは根本的に違うのです。
そこを大人が理解しないといつまでたっても子どもは宿題をしないかもしれませんね(苦笑)
以上のことから、ペルナではあめやバツなどの『外的欲求』にアプローチするのではなく、心の中から湧き上がる『サッカーが好き』とか『上手くなりたい』などの『内的欲求』にアプローチして指導するように心掛けています。
以上、ペルナの考える『あめとムチ』についてでした。
17日は地元の幼稚園と保育園に行ってサッカー教室をやってきました(^O^)
今年度に入って2回目で、『あっ!サッカーのおじさん!』って感じで覚えていてくれて、なかなかの盛り上がりでした(^O^)
なんか、ちびっ子いいなあ・・(^O^)
周りは全く関係なし!
自分とボールだけの関係で、わき目も振らずボールを追いかける姿は、原点を思い出させてくれました。
こっちが楽しませてもらいました。
次は2月頃に行く予定です。
お楽しみに!>^_^<
COACHしみず
ゲームを観ていると、『もっと考えて!』とか、『そうじゃないやろ!考えろ!』というふうに、『考える』というキーワードがよく出てきます。
最近のトレンドでしょうか(笑)
JFA(日本サッカー協会)がそういうことを言うからかなぁ(苦笑)
もちろんペルナでも、『自分で考え、判断して、行動(プレー)できる選手』の育成を目指しています。
しかし、闇雲に、『考えて!』という言葉は使わないようにしています。
指導者は、『考えて!』という前に、『考える材料』は与えてあるでしょうか?
特に低学年に対しては、サッカー年齢(経験年数)が低い選手が多いので、『考えて!』と言ったところで、何を考えたらいいかすら分からないことが多いと思います。
なので、サッカー年齢が低い選手(高学年でも経験年数の少ない選手はこれに当たります)に対しては、『考えて!』は使いません。
何を考えたらいいか分からないうちは、考える材料を与える(経験させる)ことも重要な一つであると考えます。
高学年(サッカー年齢が高い選手)に対しては考えてもらいます。
具体的には指示を出さず、『どうするか?』を見守ります。
この作業は時間がかかります。
基本的に日本の社会は幼児教育からの『指示』により、子どもを『管理』しています。
みんなと同じが『正』であり、その『正』は上からの(大人からの)経験に基ずく『指示』によって子どもたちに伝えられ、それ以外のことをするとおこられるので、賢い子どもたちはその指示通りに行動します。
これがいわゆる『指示待ち』の子どもを作成するレシピですね(笑)
この不変のレシピによって作成された子どもたちに、『考えて!』と言ったところで、現実にはなかなか自分で考えて行動に移すことは難しいようです。
ペルナではこれではダメな気がしています。
何とか自分で考え行動できる選手にならないものか・・・
様々なアプローチでこの問題に取り組んでいます。
まず、『待つ』こと。
子どもの考えは時に大人より幼稚で浅いものかもしれません。
失敗するのが見えているかもしれませんし、時間がかかるかもしれません。
しかし、子どもの考えが大人より浅いのは当たり前ですし、失敗から学ぶことが非常に多いことを大人は知っています。
しかし、時間的な問題であったり、『子どもに失敗させたくない』という思いから、大人が先回りしてしまうことが多い気がします。
指示待ち子どもの出来上がりですね(苦笑)
待ちましょう!
今時間がかかっても将来の成長のために。
二つ目は、『大人がやってみせる』こと。
子どもには『自分で考えて!』と言いながら、自分は他の保護者に聞いたり、複数で一緒に行動しないと不安になったり・・
子どもたちは本当に大人の姿をよく見ていますよ(苦笑)
時間はかかると思いますが、常に自分で考えるクセをつけて、行動できる人になってくれれば、それは必ずプレーにも反映されると思います。
以上、ペルナの考える『考えて!』についてでした。
ペルナでは、子どもには子どもの世界があると考え、大人が余分に介入しないように心掛けています。
学年が下になればなるほどちょっとしたイザコザは起きるものです。
ちょっとしたおふざけでボールを蹴ったら両方がいつの間にかマジになってけんかに発展みたいな・・・
そんなときペルナでは『どうするのかな?』って感じで見ています。
すんなり当事者同士で解決することもあれば、少し長引くこともあります。
当事者同士で解決しないようであれば、次は上級生の出番です。
『どうした?』と聞いて適切な指示。
多くは上手くまとめてくれます。
もちろん、それでもどうしようもないときはコーチの出番となるわけですが(苦笑)
子どもたちは本来『正義感』を持ち合わせています。
この正義感がもめごとを解決してくれるし、下の子の面倒を見ていろいろなことを教えてくれます。
せっかくこんな素晴らしい能力を備えているのに、わざわざ大人がしゃしゃり出ていく必要ないでしょ?
だまって見ていると子どもならではのびっくりするような理屈で話が進んでいくことがありますが、それこそが子どもの世界。
見守り、必要最小限のアドバイスを送りましょう。
それこそが『自立』の手助けかもしれません。
以上、ペルナの考える『子どものコミュニティーについて』でした。